はじめに
起業の世界では、「法人を作るのは簡単だが、エクイティ調達(=出資を受けること)は慎重にしろ」という言葉が、最近となってはSNSを中心に一般的になってきた。
エクイティ調達とは、単に出資者を獲得するイベントではない。
出資いただいたお金自体は融資・借入金のように返済義務はないが、その代わりに企業価値の向上(株価アップ × 株式公開)をもってお返しするゲームなのである。それもだいたい10年以内に。
だが実際には、
「研究開発資金が必要だから起業しよう。返済不要なら大丈夫!」というイメージのまま、ノリで起業・エクイティ調達へ向かってしまう人、も少なくないのではないだろうか。
恥ずかしながら、私はそうだった。
ベンチャーキャピタルやベンチャー支援の皆さんも私のプランに賛同し、起業の背中を押してくれる。
自分は正しいと思い込んでいた。
しかしそれは、大きな間違いだった。
私は、あまりにも無知だったし、覚悟がなかった。
この文章は、起業“未遂”で終わった私が、その過程で体験し、痛感した事実をまとめた記録である。
私はホリエモンのような歴戦の事業家ではない。途中で「逃げた」人間だ。
ディープテック起業を妨害するつもりは毛頭ない。
むしろ、日本からどんどん生まれてほしい。
しかし同時に、間違った形で足を踏み入れる人は生みたくない――そんな思いで、私はこの文章を書いている。
ディープテック起業 ≒ エクイティ調達という“宿命”
ディープテック(※)スタートアップの多くは、創業初期から大きな資金需要がある。
技術を世に出すためには、多大な研究開発が必要になるからであり、ほぼ全てのケースにおいて創業と同時にすぐにプロダクトを売れる状態ではないからである。
※ディープテック(Deep Tech)とは、大学や研究機関での科学的発見や高度な技術に基づき、環境、医療、エネルギー、産業インフラなど地球規模の社会的課題を解決する革新的な技術のこと。実用化まで長期間と膨大な研究開発費を要するが、一度社会実装されれば、既存の市場や生活に劇的なインパクトを与える潜在力を持つ技術を指す。
しかし、何の実績もない会社に融資はまずつかない。
個人資産で押し切れるほどの規模でもない。
結果、ほとんどがエクイティ調達を選ばざるを得ない。
つまり、ディープテックスタートアップ起業=エクイティ調達であるといっても過言ではない。
私も例外ではなく、その流れに乗ろうとした。
しかしながら、起業に向けてあれこれ考えていく過程で、周囲の経験者たちや大先輩たちから多くのご助言を受け、自分の中でいくつもの疑問や恐れが膨らんでいった。
「なんだか、勝手に思い描いていた世界とは違いそうだぞ」と。
エクイティ調達は“返済義務がないから安全”ではない
エクイティ調達は「返済義務がない」。それ自体は事実だ。だが、その言葉には裏がある。
出資を受けた瞬間、原則、引き返せなくなると思う。
Point of No Return だ。

投資家は、会社の成長と、株式公開または買収によるキャピタルゲインを期待して出資する。
つまり、会社には成長し続ける義務が生じる。
「やっぱり急成長ベンチャーは辞めて、町工場のように地道にやります」は許されない。
走り始めたら、どれだけしんどくても急な坂を登り続ける必要がある。
地代家賃、給料、ガス電気代など、日々息をしているだけで、キャッシュは溶けていく。
研究開発とは本来、時間に縛られず、技術とじっくり向き合う営みだが、起業後の“時間制限のあるなかでのゲーム”とは相性が悪い。
私が起業しようとした理由
今にして思えば、あの頃の私は焦っていた。
起業は手段であるはずなのに、いつのまにか目的化していた。
「自分の能力を試したい」
「自分の思うようにやりたい」
「とにかく起業したい」
「何者かになりたい」
「社長と名乗ってみたい」
――そんな気持ちがあった。
そんな私の前に、一つの技術が現れた。

事業性を検証すると、確かに可能性を感じた。
潜在顧客の反応も良かった。
「面白い」と言ってくれる人も想像以上に多かった。
その技術にしか提供できない価値があり、対価を市場から回収できる未来も描けた。
これは運命ではないか。そう思った。
だが、一つだけ致命的な問題が残っていた。
技術開発リスクという“壁”
その技術は面白い。唯一無二だ。
しかし――エビデンスが不十分。プロダクトが無かった。プロダクトらしきものも無かった。
論文実績はゼロ。でも、大きな可能性を感じさせるコンセプトだけはあった。
事業化には障害がつきものだが、「技術開発リスク」はその中でも最大の壁だ。
大学での研究として育てるなら、10年はかかる。奇跡が起こっても3年はかかるだろう。
創業初期に調達できる資金は、突然何億円にもならないし、すべきではない。
たいてい数千万円~1億円程度だ。
また、エクイティによって集めたお金を、企業価値の向上につなげなければ、次は無くなる。
「プロダクトが完成しました」
「サンプル出荷しました」
「潜在顧客と実証ステージに進むことを合意しました」
いずれの段階にも到達できる自信がなかった。どう考えても、ただ研究開発が何歩か進むだけだった。
そこで私は、研究の奇跡を信じて2〜3年で、初期の技術開発を仕上げようとした。
会社は作らず、したがってエクイティ調達もせず、自ら経済的リスクをとって研究に取り組んだ。

資金は、補助金と自腹で進めようと考えた。
だが、大型補助金の多くもまた、指数関数的な成長を前提としたスタートアップコースへの入口のように見えた。
つまり、補助金の獲得=エクイティ調達への一本道のように思えた。
私はすべて「ユニコーン」という決まった型に嵌められる感じがして、違和感を覚えはじめていた。
技術はそんなに簡単に、そんなに速く作れるものではない。
エクイティ調達をして指数関数的に成長する以外にも、事業の立ち上げ方はあるのではないか。
今となっては、いろいろな事業の立ち上げ方があると分かっているが、当時の私には、“スタートアップ”というスキー場の上級者コースに足を踏み入れるか、立ち去るかの選択肢しかない状態だった。

起業/資金調達に適したタイミングとは
私の場合は、ある意味、その技術と出会うのが早すぎたし、ご縁が無かった。
では、起業に適したタイミングかどうかは、何で測ればいいのか。
答えはシンプルだ。
「プロダクトらしきものがすでに手元にあるかどうか」
たとえば、ゲノム編集植物を使ったビジネスを行いたいなら、
「ゲノム編集された植物自体は、出来上がっている」
「温室などの理想的な環境では、すでに効果が検証されている」
「あとは、実環境(露地)での大規模検証や、法令対応さえすれば、製品を売れる」
というレベルに、起業前・エクイティ調達前の段階で仕上げておくべきだ。
私は「ディープテックスタートアップの起業はやめておけ」「ベンチャーキャピタルから資金調達しないほうがいい」と言っているのではない。資金調達する前までに、「なるべくプロダクトを完成させておきましょう」「技術開発リスクをつぶしておこう」ということだ。
もし、あなたの惚れた技術が、その状態に達していない場合。
残念ですが、いますぐの起業はせず、一度落ち着きましょう。
その場合、あなたにはいくつかの選択肢がある。
①補助金・自己資金(+エンジェル投資)で研究を続け、なんとかプロダクトを作り上げる
②あきらめて、大学に研究を続けてもらう
法人になると、補助金の選択肢にも制約が出てくるので、法人化せずに出来る限り研究開発を進めることを私は勧める。
ただし、現実には私の考えに反するように、起業初期のほぼ全リソースを研究開発に振り切り、それでもいずれ売上を立て、上場・自立していったスタートアップも存在する。
私はそういう起業家を心から尊敬している。
私には、とても真似できない。
「誰になんと言われようと、『自分は起業する』と内から湧き出る欲望を持っていることが重要だよ」
IPOを達成したあるディープテック起業家はそう言った。
もしかすると、結局私には覚悟が足りなかっただけなのかもしれない。
もう少し人生経験を積んだ頃、この答え合わせはできるだろう。
行きついた結論
結局、私は起業を断念した。
当然だ。
自分自身で研究して、起業するに値するデータを取ろうともがいた。
しかし、研究はそんなに簡単に結果をくれない。地道な積み重ねが重要なのだ。
自分で決めたことだから、後悔も不満もない。
今になって言えるのは、ひとつ。
ディープテックスタートアップを志すなら、研究開発資金を手に入れるために起業、資金調達してはいけない。
スタートアップは企業価値を上げるために資金を使うものだ。
エクイティ調達は、覚悟を伴う行為である。一度始めてから「やっぱりやめた」は許されない。
その意味を、私は“未遂”のなかでようやく理解した。
これが、私が逃げ出すまでの記録である。
誰かが同じ地獄に落ちないための、小さな石になれたら嬉しい。

