ディープテックは、どこまで「助走」してから起業すべきか?

最近、ディープテック・スタートアップの世界でも、会社間の格差が大きくなってきていると聞きます。

順調に資金調達を重ね、優秀な人材が集まり、さらに大きな資金を調達して成長していく会社がある。一方で、思うように資金調達できず、補助金や受託開発をつなぎながら事業化の機会を探っている会社もあります。

もちろん、その差を生む要因はいろいろあるでしょう。経営者の力かもしれない。技術かもしれない。市場環境かもしれない。運もあると思います。

ただ、最近もう一つ気になっていることがあります。

そもそも、起業するのが早すぎるケースもかなりあるのではないか。

今回は、特定の企業の話ではなく、一つの架空のケースを通じて考えてみたいと思います。

目次

架空ケース:「夢の技術」で起業してみる

ある大学から、とても面白い新素材が生まれました。

著名な学術誌にも論文が掲載され、これまでの材料では出せなかった素晴らしい性能が出ています。電子材料、化粧品、建材など、用途もたくさんありそうです。

これはすごい。

「ぜひスタートアップにしましょう」

そんな話になります。

技術の将来性を評価する投資家と出会い、なんとかシード資金を調達できたとします。会社を作り、人を採用し、研究設備を揃える。

いよいよスタートアップの始まりです。

では、この会社は明日から何をするのでしょうか。

おそらく、まずは研究開発です。

論文のチャンピオンデータと「売れる製品」の間

論文で素晴らしい性能が出ているからといって、そのまま顧客に売れるわけではありません。

その性能は再現性よく出るのか。長期間安定するのか。論文では重視されなかった他の評価項目はどうなのか。実際の用途に合わせた材料や製品にできるのか。

そして、製造業系のディープテックなら避けて通れないのが、スケールアップです。

実験室では1グラム作れた。では、1キログラム作れるのか。100キログラムならどうか。さらに量産したとき、顧客が求める品質とコストを両立できるのか。

論文を書くうえでは、あまり面白くない研究も含まれるかもしれません。しかし事業にするためには、こうした地道な技術開発を積み重ねなければなりません。現状は、この基礎研究と製品化の間の担い手は明確にはいません。製品化したい企業自身でなんとかするしかないのです。

つまり、この架空のスタートアップは、会社を作った初日から大量の研究開発を抱えることになります。

技術開発の時計と、資金繰りの時計

ここで問題になるのが、「時間」です。

私の経験上、論文やチャンピオンデータの段階にあるディープテックを実際の事業に持っていくには、5年、10年という時間がかかっても不思議ではありません。大企業では、もっと長い時間をかけて技術を育てることもあります。

一方、スタートアップには別の時計が動いています。

資金です。

仮に1〜2億円を持ってスタートしたとしても、研究者や事業開発担当者を雇い、設備を買い、試薬や材料を買い、活動拠点を借りれば、当然キャッシュは減っていきます。

技術開発には5年、10年かかるかもしれない。しかし、その成果が出るまで手元の資金が持つとは限らない。

技術開発の時計と、資金繰りの時計。ここにズレが生まれます。

例えば、創業から2年が経ったとします。次の資金調達を考えなければなりません。

投資家から聞かれます。

「事業はどうなりましたか?」

技術は進歩しました。データも増えました。研究成果もあります。

でも、「誰が、何のために、いくらで買ってくれるのか」「それを繰り返し売れるのか」というところは、まだよく分かっていない。

この2年間、ほとんどの力を研究開発に注いできたからです。

研究の進捗を、事業の見通しにつなげられるか

特に、ベンチャーキャピタルなどから資金調達するスタートアップは、急速な企業価値の成長を期待されています。

もちろん、技術的な難所を越えること自体が、大きな価値を持つ場合もあります。売上が立つまで次の資金調達ができない、という話ではありません。

ただ、その研究成果が将来どのような事業につながるのかは、問われ続けます。

誰かがお金を払ってくれる。しかも一度だけではなく、同じ勝ち筋を繰り返すことができる。その結果として事業が大きくなる。

そんな見通しに、少しずつ根拠を積み上げていく必要があります。

ところが、顧客や用途を確かめないまま研究開発だけを続けてきた会社は、ここで苦しくなります。

研究はまだ終わっていない。だから、さらに研究費が必要です。でも、事業としてどこに向かっているのかは、まだ説明しきれない。

では、どうやって生き延びるのか。

そして「自分の切り売り」が始まる

まず考えられるのは、補助金や助成金です。ただ、制度によっては自己負担や入金までの立て替えが必要で、採択されれば資金繰りが解決するとは限りません。

そこで、お客様から研究開発を受託することを考えます。

最初は、自分たちの本流に近い研究かもしれません。しかし、会社を生き延びさせなければならない。

「お金を出していただけるのであれば、この研究をやります」

という案件が徐々に増えていく。

小さな受託研究だけでは会社全体の固定費を賄えないとなれば、数千万円、場合によっては億単位の大型案件が必要になります。

しかし、そんな案件が簡単に取れるわけではありません。すると今度は、契約条件を譲る誘惑が生まれます。

知財。ノウハウ。独占的な権利。

本来なら将来の事業を作るために会社に残しておきたかったものを、目の前の資金と引き換えに渡していく。

私はこれを、「自分の切り売り」のようなものだと思っています。

その年度には売上が立つでしょう。でも翌年、同じものをもう一度売れるでしょうか。

顧客も違う。テーマも違う。契約条件も違う。またゼロから大型案件を探さなければならない。

売上が立つことと、繰り返し伸ばせる事業が育つことは、同じではありません。

もちろん、補助金や受託研究そのものが悪いわけではありません。顧客の課題を知り、自社の技術を育て、将来の製品につながる受託なら、有力な事業開発の手段になります。受託を主軸に、専門性や仕組みを蓄積して成長する会社もあるでしょう。

問題は、資金をつなぐための個別案件に追われ、自社に残る技術や顧客基盤、次にも使える成果が積み上がらないことです。

将来の事業展開の自由まで失ってしまえば、次の成長も説明しにくくなる。資金調達が難しくなり、さらに目の前の受託に頼る。

そんな負の循環に入ってしまう可能性があります。

そもそも、そんなに急いで会社を作る必要があったのか

ここまで考えると、一つの疑問が出てきます。

この架空の素材スタートアップは、そもそも、あのタイミングで起業する必要があったのでしょうか。

私は、起業前にもう少し「助走」できることがあると思っています。

もちろん正解は一つではありません。私自身も事業開発について学び続けている途中ですし、「ここまでやれば起業してよい」という明確な線を引けるとも思っていません。

ただ、少なくとも三つ、起業前にできるだけ進めておきたいことがあります。

1.技術を、できるだけ助走させておく

一つ目は技術です。

チャンピオンデータが出たところですぐ会社を作るのではなく、再現性、安定性、周辺評価項目、用途に合わせた最適化など、大学にいる間にできることはできるだけ進める。

起業に向けた研究開発や事業化の検証を支援する、ギャップファンドなどの仕組みもあります。利用できる制度や条件は大学・プログラムごとに異なりますが、法人設立前に進められることを確認する価値はあるでしょう。

もちろん限界はあります。特にスケールアップは、多額の設備投資や人材が必要になり、大学だけでは難しいことも多いでしょう。外部の製造会社を活用できるかどうかによっても、進め方は変わります。

重要なのは、「技術を完成させてから起業しましょう」ということではありません。

会社を作らなくてもできる研究を、どこまで会社を作る前に済ませられるか。

ということです。

2.知財を、事業に使える状態にしておく

二つ目は知財です。

大学で研究していると、企業と共同研究する機会もあります。ここで意識したいのが、起業後にコア技術を事業に使える状態になっているかどうかです。

せっかく技術を育てても、知財の帰属や契約条件によって、想定していた用途への展開や第三者との事業が制約されてしまえば、新会社は苦しくなります。

共有知財があること自体で事業化できないと決まるわけではありません。また、大学の技術だからといって、新会社が自動的に使えるわけでもありません。

誰が権利を持ち、新会社がどの範囲で使えるのか。ライセンスの条件はどうなるのか。他社との約束が事業計画に影響しないか。

大学の知財担当者や専門家と、起業前から確認しておきたいところです。

技術があることと、その技術で事業をできることは別です。

3.「どこで売れるのか」を、顧客と一緒に探しておく

そして三つ目。私はこれが非常に重要だと思っています。

起業する前に、どこで売れそうなのかを探しておくことです。

「電子材料にも、化粧品にも、建材にも使えます」

というだけでは、まだ用途の候補を並べている段階です。

潜在顧客に会いに行く。今、何に困っているのかを聞く。既存の技術では、なぜ解決できないのかを聞く。そして、自分たちの技術ならではの強みが、その課題に本当に刺さるのかを確かめる。

本当に困っている顧客なら、大学研究者が話を持っていった段階でも、

「一緒に研究しませんか」

「研究費を出すので、試してもらえませんか」

という話になることもあります。

そういう反応を見逃さない。ただし、研究費を出すことと、将来製品を買うことは別です。共同研究への関心が、実際の採用にどうつながるのかを確かめる必要があります。

さらに重要なのは、その顧客が最終的に採用するまでに、何を証明しなければならないのか。

ここまで具体化することです。

性能なのか。耐久性なのか。量産性なのか。コストなのか。安全性なのか。

顧客から見た採用までのリスクを一つずつ具体化していけば、必要な技術開発も見えてきます。そのうち、起業前にできるものは先にやる。どうしても会社でなければできないものを、起業後に残す。

そうすると初めて、「起業後に何をしなければならないのか」が見えてきます。

必要な設備、人材、期間。そして、どれくらいの資金が必要なのか。

もちろん、見積もりには不確実性が残るでしょう。それでも、単に「研究を続けるためのお金が必要です」という状態とは、かなり大きな違いだと思います。

起業してから「勝ち筋」を探すのはとても怖い

逆の順番を考えてみます。

技術ができた。起業した。資金調達した。数年間、一生懸命研究開発した。ようやく技術が出来上がった。

そこで初めて、

「さて、これをどこに売ろう?」

と考える。

これはだいぶ怖い。

素晴らしい技術だからといって、必ず素晴らしい市場が見つかるとは限らないからです。技術として優れていることと、ビジネスで勝てることは別です。

運もあるでしょう。タイミングもあります。研究している間に、自分たちの存在意義を脅かす競合技術が生まれるかもしれません。

そして数年間研究したあとで、「実は十分に勝てる用途がありませんでした」と分かる可能性だってあります。

もちろん、用途によっては、サンプルや実証設備がなければ顧客も判断できません。それでも、誰が何に困っているのか、どんな条件なら採用を検討するのかを聞き始めるために、巨大な製造設備が必要なわけではありません。

だったら、会社を作る前からできるだけやっておいた方がいい。

私はそう思います。

起業前の助走で「発射台」を高める

「早く起業すること」そのものが目的ではありません。

会社を作り、人を雇い、設備を持てば、継続的に資金が必要になります。そして外部のエクイティ資金を受け入れれば、投資家と成長への期待や時間軸を共有することになります。

だったら、その前にできることは、もう少しあるのではないでしょうか。

技術を育てる。知財を整える。そして、どこで売れるのかを潜在顧客と確かめる。

起業後に残るリスクを具体化して、それを越えるために必要な資金の見通しを持つ。そのうえで、

「ここから先は、会社でなければ進めない」

というところから会社を始める。

もちろん、そんなにきれいに進むケースばかりではないでしょう。法人でなければ進まない契約や採用もあるでしょうし、市場に入るタイミングを逃さないために、早く起業する意味がある場合もあります。

だから、ただ長く待てばいいという話ではありません。

助走の長さよりも、助走の間に何を確かめ、起業の出発点をどこまで高められたか。

大切なのは、そこだと思います。

会社を作らなくてもできることをたくさん残したまま、急いで会社を作る必要が本当にあるのか。

起業する前に、もう少し助走してもいいのではないか。

最近、そんなことを考えています。

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