【インタビュー】20年以上かけて、ついに見つけた最後の1ピース。研究成果をひっさげ、中国産生薬に含まれる抗炎症成分「グリチルリチン」の国内安定生産に挑む/大阪大学 村中俊哉先生

植物を使ったモノづくりを社会・環境に役立つ産業にすべく挑戦されている、大阪大学 村中俊哉 名誉教授にお話を伺いました。京都大学~住友化学株式会社での研究員~アカデミアでの研究者と、一貫して40年植物バイオテクノロジーと向き合ってこられた方です。その根底にあるのは、1980年代のバイオテクブームでした。ゲノム編集をはじめとした技術発展を経て、満を持して、植物バイオテクノロジーの産業化に挑んでおられます。研究者の方だけでなく、研究シーズを探しておられる起業家・事業家の方にもぜひ読んでいただければ幸いです。

目次

プロフィール

  • 村中 俊哉(むらなか としや) 名誉教授/Ph. D.
  • 大阪大学 先導的学際研究機構 産業バイオイニシアティブ研究部門 特任教授
  • 京都大学農学研究科を修了後、1985~2001年、住友化学工業株式会社にて植物バイオテクノロジーの研究開発に従事。2001年、理化学研究所 植物科学研究センターのチームリーダーに就任。横浜市立大学木原生物学研究所 教授、大阪大学大学院工学研究科 教授を経て、現職。住友化学株式会社での研究経験を原点に、アカデミア界では植物組織培養を基盤とした有用物質生産研究の第一人者として牽引。植物の力を社会に活かすことを求めて、社会実装を目指している。
  • 座右の銘:不易流行(「変わらない本質を大切にしながら、変わるべきものを柔軟に受け入れて進化していく」 —それこそが、科学の発展を支えるものだと考えています。)
  • 好きな歌手:槇原敬之、あいみょん

取り組んでいるプロジェクトの概要

― まずは、今取り組まれているプロジェクトについて教えてください。 

村中先生(以下敬称略):グリチルリチンという医薬・化粧品・食品向けの有効成分を、国内でも安定生産する事業を目指しています。甘草(カンゾウ)という、中国で主に生産・採取されている薬用植物があります。すりつぶして粉末にし、葛根湯などの漢方に使われていることで有名な植物なのですが、甘草の根には「グリチルリチン」という有効成分が多く含まれていまして、この成分には甘味料、炎症止めなど多くの効能があります。

甘草根。医薬品や日焼け止め、甘味料などに使われる有効成分が多量に含まれる。

― グリチルリチン、という言葉に馴染みがない方も多いと思います。どんなところで使われているのでしょうか。

グリチルリチンは、甘草に含まれる成分の名前です。これをきれいに精製して取ったものが、医薬品、化粧品、食品向けの原材料として配合され広く使われています。最も身近な用途は、日焼け止めです。日焼けをすると肌が赤く炎症が起こりますが、それを止めるために、ほぼすべての日焼け止めに入っていると言われます。このように、実は私たちの生活を支える重要な素材なのですが、化学工場で大量生産することはできません。そのため、甘草の根から入手するしかないのですが、甘草の根については国内需要の90%以上がずっと中国からの輸入に頼ってきたのが現状です。国産化の精力的な取り組みもありますが、日本と中国とでは気候が異なるので、中国と全く同じように栽培するのはなかなか難しいんですね。一方、原産地である中国国内では、甘草自体の需要が高まっており、さらに違法採取などの背景もあります。そのため、中国による輸出制限や輸出価格の上昇も見られています。国際的に緊張感が高まっている今、重要な素材を安定調達できることは重要だと考え、技術を開発しています。(技術の詳細はこちら:https://techbiz100.com/licorice/

我が国における甘草根の輸入額と輸入単価の推移(TechBiz作成)

地球上の文化・人類・自然に広く興味を広げていた少年時代

― 先生はよく、「私が昔から取り組んできた植物組織培養で、あらためてビジネスを目指せる時が来た」と仰っていますよね。なぜ、そのような考えに至られたのかを知るために、村中先生の生い立ちも教えていただけますか。

村中:私は、三人兄弟の末っ子として大阪に生まれ、育ちました。1970年、私が小学校5年生のときに大阪万博があり、「これから、科学技術によって明るい未来が開かれるんだな」と感じたことを覚えています。歩く歩道。ブルガリアヨーグルト・・・。余談ですが、当時のヨーグルトというのは、現代の「ブルガリアヨーグルト」のようなものでは全くなかったんですよ。砂糖などで甘みをつけて寒天で固めたものだったんです。大阪万博のブルガリア館で展示されている甘くないヨーグルト、いわゆる「プレーンヨーグルト」を見つけた明治が日本向けの販売を開始したのが始まりなんです。

1970年 大阪万博の公式ガイド(村中先生より写真ご提供)

― それは知りませんでした!!

小学校で出会った友人の影響で、鉱物や生物など自然への興味が湧くようになりました。高校は進学校に。帰宅部だったのですが、生態学、文化人類学の梅禎忠夫(うめさおただお。1920-2010。日本における文化人類学のパイオニア。京都大学名誉教授。従三位勲一等瑞宝章など。)にハマりまして、それが私を生物の道に導いた気がしています。文化人類学というのは、要は探検家。未開の地に行き、原住民と接触するような学問です。また、人間だけでなく、広く自然がどうなっているのかにも興味がありました。当時、数学が苦手だったので、親からの勧めもあり文系の道に向かっていましたが、悩んだ結果、理転(理系選択に変えること)しました。

村中:晴れて京大農学部に入ることができ、研究室は、植物組織培養に取り組むグループに希望通り入ることができました。研究室のボスは山田康之教授(やまだやすゆき。1931-2021。植物の細胞を大量に培養する実験系を確立し、次々に新しい研究分野を開拓した。京都大学名誉教授。文化勲章など。)という方で、日本の植物組織培養の世界では非常に有名な先生です。奇しくも、このときに学んだ植物組織培養を、当時から今までほぼ一筋で取り組むことになります。

大学4回生、同じ研究室の仲間たちと村中先生(真ん中上、村中先生より写真ご提供)

空前のバイオブームで、自らも企業へ

― 村中先生は新卒で企業へ入り、15年間働かれてからアカデミアの世界に戻られています。なぜ、企業の道を選んだのでしょうか?

1984年、カネボウからリリースされ大ヒットとなった「バイオリップ」。バイオブームの先駆けとなった。 

村中:私が学生の頃の日本は、バイオブームの真っ只中でした。カネボウ、コーセー、資生堂が、アイドルのヒットソングとともに化粧品を売ることをやっていたのですが、当時トップアイドルだった松田聖子が広告塔になった「バイオ口紅(バイオリップ)」という製品もあった。ものすごく大ヒットしたんですよ。バイオ口紅に配合されているのは、紫根に含まれるシコニンという天然の赤紫色素です。三井石油化学工業(現:三井化学)が、紫根から得られるシコニンの分離に成功。紫根を組織培養して、得られた組織からシコニンを抽出していました。これを配合した「バイオ口紅」が一世を風靡したんですね。これ以外にも、実に多くの会社が取り組んでいました。

― 私もバイオモノづくりが大好きで、この時代にタイムスリップしてみたいです。。。それで、ご自分でもやってみたい!と思われたのでしょうか。

村中:はい、自分も三井石油化学のようにやりたいと考え、修士で卒業し、ご縁があった住友化学工業(現:住友化学)へ入りました(※博士号は会社勤めの際に取得)。住友化学でも、三井石油化学に続けとばかりに植物組織培養技術によるビジネスを狙い、日夜研究開発していました。入社後に取り組んだのは、今研究しているのと同じ「毛状根培養」。有効成分が高濃度に含まれた根の部分だけを培養する、全く新しい方法でした。チャンピオンデータを出し、論文にすることも出来たのですが、結局「コストが合わない」ということで事業化は断念。とても悔しい思いをしました。

1980年代当時 植物培養細胞による有用物質生産例

サイエンスの面白さに気づき、40歳でアカデミアの道へ挑戦

― その後、アカデミアに戻ることになりますよね?

はい。アカデミアに戻るまで、住友化学には15年いました。住友化学からの派遣で名古屋大学にて研究留学させていただける機会があり、そこで「サイエンスは面白いな」と遅ればせながら気づき、アカデミアの世界に転身することを考え始めました。アカデミアに戻るには一般的なケースよりも遅めでした。なかなかポストが見つからずに困りましたが、ちょうど理研で、『日本が強い研究領域でPlant Science Centerを立ち上げる』という話があり、そのチームリーダーの職につけたのが2001年、41歳のときです。当時の同僚からは2パターンの反応があって、「よう辞めるなあ~(お前アホやなあ)」 と 「よう辞めるなあ!(すごいねえ、頑張れよ!)」。どちらも同じ響きですが、本当に賛否が分かれたのですね。ちなみに、後者の応援の声をかけてくれた当時の同僚は、今や住友化学の社長になりました。

― 思い切りましたね!もともと新卒の頃から、『いずれはアカデミアに戻ろう』と思い描いていらしたのですか?

村中:そんなことはありません。企業人のときは、会社での研究成果を世に出せたらいいなと思って取り組んでいましたよ。しかし、名古屋大学に国内留学をさせてもらう機会があり、植物のタンパク質リン酸化酵素(npk5)の研究をしました。ちなみに私の個人メアドnpk5.toshiya@**はここから来てます。どうでも良い話ですが・・。そして、「ああ、基礎研究って面白いな」と気づいた、少し遅かったですが 。

構想の原点は、20年前

― 理研ではどのような研究をされたのですか?

村中:チームリーダーだったので、「さて、どんな研究をしようか」とテーマを企画するところからでした。いろいろ考えた結果、これまでの研究経験やバイオブーム時の体験も活かして、植物が有効成分(二次代謝(特化代謝)産物)をどのように作るのか、そのメカニズムを明らかにする研究をやることにしました。1980年頃のバイオテクブームのときは、各社、植物組織が有効成分を多く作る条件を探し、気合いで作らせるのがほとんどだった。どのようなメカニズムで植物が有効成分を作っているのか、その中身はブラックボックスのまま、生命の設計図が未解明のままでは改善もできないだろうということで、そのような研究テーマをすることにしました。まさに今事業化を考えている「グリチルリチン」の研究をはじめたのが、このころです(2003年)。甘草という薬用植物のなかで、どのようにグリチルリチンが作られるのか、それを担う遺伝子を探し始めたんですが、この頃から今まで20年以上取り組んできたことになりますね。理研という組織の特徴としては、さまざまな専門性の人間を混ぜ合わせてプロジェクトチームを作るという点があります。分子生物学(生き物の仕組みを、分子レベルで解き明かす学問)の専門家だけでなく、生薬の専門家など、いろいろな人を巻き込んだ結果一気に仕事が進みました。

村中:生物の細胞の中では、“代謝”といって化学物質が一段一段形を変えていくのですが、その結果、有効成分ができて根などの組織に貯まります。研究を始めた当時は、グリチルリチンがどのような道(専門的には生合成経路という)を辿って作られるのかが分かっておらず、それを1ピースずつ解き明かしていきました。そして2020年、テーマスタートから17年後、ついに最後の1ピースの発見に至ったということです。

グリチルリチンの生合成経路。図中カラーの各反応を担う遺伝子を明らかにし、2020年、ついに最後の1ピースが埋まった。

― 私はこの世界の専門家でして、1人の研究者が生合成経路をすべて解き明かすのがいかに凄まじいことなのか、大変畏れ多くも分かっているつもりです。ご研究人生をかけて、グリチルリチンが作られるメカニズムの全容を解明されたということなんですね。ものすごい研究の蓄積のもと、今の構想があることがよく分かりました。なぜ、事業・起業をしたいと考えられるようになったのでしょうか。

村中:ここまで蓄積してきた知見を、本当に産業に役立ち、地球環境にやさしい植物として世に出していきたいと考えたからです。過去のバイオテクブームのときには、生命の仕組みがブラックボックスだったし、ゲノム編集のような便利なツールもなかった。まだ生物をうまく使いこなせない時代でした。20年以上の時を経て、生命の設計図を見ながら、一定は人間が思うように制御できる時代になってきました。当時のバイオテクブームは、石油化学の勢いに勝てずしぼんでしまいましたが、基礎技術や知見が高まってきた今ならば改めて挑戦できるのではないかと考えました。他力本願ではなく、自分の力で何とかしたいと考え、スタートアップを設立する道を探っているところです。

村中先生。とても気さくに応じてくださり、若い頃の懐かしの歌を口ずさむ、チャーミングな一面もお見せくださいました。

本当に産業に役立ち、地球環境にやさしい植物を世に出していきたい

― 先生は、クラウドファンディングにも挑戦されましたよね。大学の先生が、事業・起業のためにクラウドファンディングで資金集めまでする、というのはなかなか聞いたことがありません。もともと、商売に身近な環境で育ったのでしょうか?

村中:そんなことはありません。昨年春の定年退職を機会に、なんでも新しいことをやってみようと思ったことの一つがクラウドファンディングでした。資金集めのためのブランディング、そしで実際寄付いただくというプロセス、とどとれもたいへんであること、身に沁みて感じましたが、とてもいい経験になりました。

― 研究者としてのスタイルや心持のようなところもお伺いできればと思います。研究者にもいろいろなタイプがいらっしゃると思うのですが、もともとは、コンセプトを頭の中で企画するのがお好きなのか、それとも実験がお好きなのか、どちらでしょうか。

村中:40歳でアカデミア(理研)に戻ったとき、私はすでにチームリーダーで、テーマを企画し、チームを集め統括する立場でした。本当は実験が好きなのですが。これまでの成果も優秀な仲間に恵まれましたが、自分自身としても、いろいろな人と議論し、異分野同士で手を取り合って進めていくのが得意なのかもしれないと思っています。

― たしかに、私のようなスタートアップ事業開発出身で、全く世界の違う人間とも普通にお話くださりましたもんね。今回の私とのコラボレーションについてもお伺いさせてください。今回は、先生のご研究成果をもとに、①ビジネスプランの作成、②市場、顧客ニーズのヒアリング調査、③私のオウンドメディア(TechBiz)での発信をやらせていただきました。私が関わらせていただいたことで、何か変わったことはありましたか?

現在構想している参入戦略。グリチルリチンなどの有効成分が含まれた代替原料の提供を狙う。詳細は以下。

村中:菅野さんに出会う前は、事業にしたいなという想いがあるものの、その中身はモヤモヤっとしていました。世に届けるには、製造・販売の「コスト」も重要だし、誰が買ってくれるのかも当然考えなければいけない。実際に、自分自身で売り込まなければいけない。このように、目的地に到達するために、具体化していくプロセスを教えてもらいました。研究するのと次の事業のフェーズに進むのとでは考え方が全然違うのだなということが、菅野さんと時間をともにして分かりました。研究と事業をリンクさせるような作業は、産学連携支援をミッションとする学内部門の得意分野とも違い、新しい世界でした。

― なるほど。私が印象的だったのは、企業さんへのヒアリングです。皆さん普段からビジネスをされている方々なので、必ずしもリップサービスだけでなく厳しいコメントをくださる方もいましたね。何となく落ち込まれていたり、逆に励まされたり、感情が動いているご様子が印象的でした。一喜一憂してしまいますよね。

村中:そうですね、企業さんへのヒアリングはとても勉強になりました。お仕事でお忙しいところご厚意で時間をとってくださり、時に厳しいことも言ってくださったことは本当に有り難いことでした。また、これまで大学教員としての立場で、グリチルリチンについて「甘味料、抗炎症作用、肝炎治療薬・・・」などと教えてきましたが、身近な生活でどこに使われているのか実態を知らなかったことにも気づくことができました。実は、市販されている日焼け止めには「炎症を抑える医薬部外成分」としてほぼ必ず入っていると言われる有名成分でもあり、替えの効かない重要な成分であることを知ることができました。

― それは良かったです。ところで、このたび某補助金にも採択されたのですよね!おめでとうございます。

村中:内心ダメかなと思っていたので、本当に良かったです!世界的にリスクが増している昨今、日本でも安全保障が重視されているので、タイミングとしても良かったのだろうと思っています。海外からの輸入に頼っている植物資源を、安定に入手するコンセプトが評価されたようです。申請書では、菅野さんに作ってもらったビジネスプランのストーリーや素材をたくさん使わせてもらいました。そのおかげかもしれません。補助金の申請期日には間に合いませんでしたが、後日ユーザー候補の企業さんからの前向きなお声も聞くことができ、かつて以上に実感を持って「市場や顧客が必要としてくれている」と言うことができるように思います。

― 少しでもお力になれていたら、とても嬉しいです。ちなみに、私と初めて会ったときのことも聞かせてください。ある方のご紹介で、私は個人としての立場で会わせていただきました。所属組織も面識もなかったので、はじめは怪しまれたのではないかと思うのですが、なぜ受け入れてくださったのでしょうか。

村中:20年来の研究仲間から「彼はすごいよ、絶対良いから」との推薦・紹介がありました。彼が言うならと信じていましたし、実際に会って話してみてもしっかりされた方だった。

― 信じてくださり、ありがとうございました。。。最後に、これからのことを聞かせてください。 

村中:目指すべきターゲットがぼんやり見えてきて、そこに至るための研究開発目標や項目も見えつつある状況です。研究開発を進め、目標コストを達成できる水準まで高めていきたいと思います。この構想の技術的な強みは主に2つで、①植物のゲノム編集技術と②植物組織培養技術です。

村中:そして今、何より必要なのは仲間です。この技術を使って、どのような会社・事業を作っていくのか。何年で作っていくか。まだ真っ白な画用紙の前に立っているような段階ですが、だからこそ一緒に構想し、一緒に形にしていく面白さがあると思っています。CEO候補として事業を牽引したい方、エンジニアリング責任者候補として製造プロセスをゼロから設計・スケールアップしたい方、そして植物科学の可能性を産業に変えたい方に、ぜひ関心を持っていただけたら嬉しいです。植物科学は日本が昔から強い分野で、今も世界トップクラスです。国内の研究グループや産業界が力を持ち寄ることで、日本発の強い事業を作れるのではないかと思っています。

ご研究中のサンプル。毛状根培養では光の照射は要らない。写真中では目視確認用に光が点いている。

― 村中先生の想いやコンセプトに共感する仲間が見つかることを祈っております。この度はインタビューのお時間をいただき、ありがとうございました。

インタビュアーあとがき

20年以上かけて最後の1ピースを見つけた研究者が、次はその成果を社会のなかで生きる技術に昇華しようとしている。村中先生の挑戦は、まだ完成された事業ではありません。しかし、だからこそ一緒に作っていける余白があります。この記事が、その挑戦に共鳴する新たな仲間とのご縁につながればと思います。

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