【インタビュー】科学技術のポテンシャルを解放し、社会をもっと良いものにしたい。生粋の研究者が、ディープテックスタートアップの文化もエコシステムもほとんど無い2013年、自ら大学を回り、シーズ技術を確保して生まれたスタートアップ。

科学技術のポテンシャルを自らの手で開放し、社会をもっと良いものにしたい――。京都府のディープテックスタートアップ イーセップ株式会社 代表取締役の澤村健一さんにお話を伺いました。早稲田大学助手、日立造船株式会社(現カナデビア株式会社)を経て、2013年に同社を創業されました。現在は、化学、燃料、食品、香料など幅広い産業向けに、ナノサイズの穴をもつ「無機分離膜」の実用化に挑戦されています。今のようにディープテックスタートアップのエコシステムも無い頃に、自らの手で、大学発技術のライセンスや量産技術の確立など多くの壁を乗り越えてきた方です。なぜ大企業を飛び出し、自ら起業したのか。ディープテックのリアルな事業化の苦労から、「科学技術で社会をより良いものにしたい」という原点まで、幅広く語っていただきました。

目次

プロフィール

  • 澤村 健一(さわむら けんいち)/ 博士(工学)
  • イーセップ株式会社 代表取締役
  • 2003年早稲田大学卒業。2008年早稲田大学大学院 博士後期課程修了(博士(工学))。早稲田大学理工学術院助手、日立造船株式会社(現カナデビア株式会社)を経て、2013年にイーセップ株式会社を設立。代表取締役就任。
  • 最近ハマっていること:アラビア語と中国語をDuolingoというアプリで学習すること。毎日20分ずつ学習して、連続学習記録66日を更新中。目標は1000日!
  • ホームページ:https://esep.kyoto/
イーセップ株式会社 代表取締役の澤村さん。一流の膜の専門家・技術者です。自ら決断して起業し、試行錯誤されながら事業を形にしてこられただけに、いつお会いしても明るく、「ザ・起業家」という感じのお方。

事業や技術の概要

― まずは、御社について教えてください。

澤村社長(以下敬称略):弊社は、2013年創業のディープテック(科学的な発見や革新的な技術にもとづき、地球温暖化や食糧・医療問題など地球規模の課題を根本的に解決する技術)スタートアップです。京都を拠点に事業を行っています。弊社の強みは、物質と物質を分ける「分離技術」です。特に、人間の目には識別できないサイズの“分子”同士を分けることが得意で、化学、燃料、食品、飲料、香料などの製造業をターゲットにしています。

製造業では、原材料から製品を完成させるまでに頻繁に「分離」工程が登場します。例えば、混ざりものから製品となる物質を取り出すとき。製品を濃縮するために水分を除くとき。混ざり合った物質同士を分けて、リサイクルするとき。特に化学物質の製造を生業にしている化学業界では分離が重要で、特に蒸留という方法によって分離されています。蒸留は化学物質を加熱し気化させることにより物質同士を分ける方法なのですが、同業界で使用されるエネルギーのうち40%が蒸留によるものと言われています。化学産業は100年以上変わっていないと言われますが、蒸留も同様です。我々は、伝統的な蒸留工程を中心とした「分離」を変え、大規模な省エネ・カーボンニュートラルに貢献したいと思っています。

化学工場のイメージ。蒸留を担う“蒸留塔”は、背が高く、工場でも目立つ存在。塔の下部から加熱された蒸気が上昇する。

― 大きな課題をターゲットとされているのですね。具体的にどのように実現するのでしょうか?

澤村:膜を使います。専門外の方は「ザル」をイメージしていただくと良いと思います。例えば、茹でた麺を湯切りするときにザルを使いますね。お湯は網目を通り、麺は通らないので、お湯と麺を分けることができます。ザルの網目の大きさは人間の目にも十分見える大きさですが、我々の膜には、人間の目には見えない1ナノメートル以下の穴が無数に空いています。1ナノメートルというサイズの想像が難しいと思いますが、日常でギリギリ目に見える浮遊物は1ミリメートル(ナノメートルの1,000,000倍)、菌は1マイクロメートル(ナノメートルの1,000倍)くらいです。分子は1ナノメートル以下の大きさなのですが、その分子しか通らないような非常に小さい穴を、精密にコントロールして作る技術を持っています。

膜の模式図。ナノメートルサイズの穴を分子が通る。

― そんなに小さい世界の話なのですね。。蒸留ではなく膜を使うと、何が嬉しさになるのでしょうか?

澤村:省エネ・コンパクトになることです。省エネになるということは、CO2排出も同じく削減できます。水を沸騰させるのと同様に、蒸留は物質を気体にするために加熱が必要になるのですが、そのために大量のエネルギーが必要になります。物質と物質の組み合わせによっては、蒸留でもなかなか分離できないものがあり、過剰なエネルギーをかけたり、そもそも分離することを諦めざるを得ないこともあるんですね。対して膜による分離は、所定の大きさの穴が開いた膜を通せばいいわけなので、必要なエネルギーを大幅に削減できますし、設備も非常にコンパクトになります。ちなみに、私自身は学生時代からずっとこの分離膜の研究をしてきました。

予備校で受けた授業がきっかけで、化学に目覚める

― 学生時代からずっと取り組まれていたのですね。では、それ以来20年以上やっていらっしゃることになりますね。ここからは、澤村さんがなぜスタートアップの起業に至ったのか、そのルーツについても探らせてください。

澤村:私は北九州に生まれまして、父は不動産関係の仕事をしていました。その父は、40歳くらいのときに起業しました。今思えば、サラリーマン家庭に比べると、起業や独立が比較的当たり前な環境でした。中学時代からサッカーをやっていて、進学校である高校に入学してからは勉強・宿題があまりに忙しくサッカー部もすぐに退部してしまいました。しかし、サッカーへの熱は変わらず、昼休みのたびに仲間とサッカーをするため隠れ同好会を作るほどでした。そのせいか、その同好会に関わっていた友人たちは、私も含めて大学受験に失敗し、浪人生活になりましたが。

― 何がきっかけで理系選択をしたのでしょうか?

澤村:大きな理由はなく、理系科目のひとつである数学が得意だったからです。当時は化学への興味は全くありませんでした。それが大きく変わったのは、浪人時代です。ある予備校で化学を教えてくれていた先生の授業がものすごく面白かったんですね。特に印象的だったのは、アンモニア合成技術に関する授業。高校だったら「N2 + 3H2 ⇔ 2NH3」みたいな化学式を説明され、そのまま暗記することになります。しかし、その予備校の先生は、アンモニア合成が社会に何をもたらしたのかについても説明してくれました。「空気中の窒素を原材料にアンモニアを作る技術「ハーバーボッシュ法」を発明した。アンモニアは植物の肥料になる物質なので、それを大量合成する技術を発明したことで、食糧危機を救ったんだよ。」という具合です。「これは面白い!」と思って、私は化学に目覚めました。浪人となると現役時代に比べて時間の余裕もできるので、自分のペースでじっくり勉強をしてみると、ますます化学の面白さを理解できました。結局その影響もあり、早稲田大学の理工学部 応用化学科へ進学します。授業の内容を暗記してテストで点数を取ろうとするのは向いていない性格のようで、高校も大学も全然楽しくなかったのですが、自分で勉強する時間はものすごく取っていました。大学時代が人生で一番勉強したときだと思います。

― 天才という感じのエピソードですね。自ら主体的に勉強するのがお好きな当時の澤村さんが、今も取り組んでいる「膜」に出会うのは何がきっかけだったのでしょうか?

澤村:大学3年生の研究室配属がきっかけです。当時、環境・エネルギーに役立つ研究をしたいと思っており、近いことができそうな松方正彦先生の触媒研究室(日本国内の無機膜分野では最有力研究室のひとつ)を希望したところ、無事に入ることができました。環境・エネルギーへのアプローチのひとつとして膜があり、そこで膜に出会ったということです。膜を研究したくて、研究室を選んだわけではありません。無機膜にもいろいろな種類があるのですが、最も有名なものにゼオライト膜(イーセップ社が主に取り扱うのはシリカ膜)というものがあるのですが、それが私の研究対象になりました。ゼオライトを使った新しい膜を開発し、メタノール合成などの用途への利用を試みるような研究です。研究を始めるとその世界を究めたくなり、博士課程→助手とステップアップしました。深夜、土日も含めた研究に没頭した日々でした。

博士課程修了時の澤村さん(写真提供=イーセップ)

「実用化しなければ」の一心で民間へ

― そこから民間企業(日立造船株式会社(現カナデビア株式会社))へ活躍の場を移されますよね。研究に没頭し、助手のポストまで行かれていた澤村さんがなぜ民間へ移られたのでしょうか。

澤村:きっかけのひとつは、助手のときに出席した国際学会でした。助手ともなると、学会の事務局を任されたりするようになるので、所属大学以外の研究者とのネットワークや付き合いも出てきます。多くの方と話しているうちに気づいたのは、「無機膜(ゼオライト)はいろいろと科学論文が発表されているが、全く実用化されてない」ということでした。もともとはアカデミアの道を究めるつもりだったのですが、「これは実用化をしなければ!」と思い、民間の世界に移ることに決めたのです。当時の共同研究先でもあった日立造船とご縁があり、そのまま入社させていただきました。

日立造船には、研究開発職としてキャリア入社という形になりました。私はもとから自分で考えて勝手に動くタイプだったので、やるべきと思うことは会社に対してどんどん提案をしていました。途中から新規事業開発にも携われるようになり、会社から選抜され、米国シリコンバレーにしばらく滞在し現地のスタートアップと多数面談するような機会も得ることができました。面白い膜の技術をもった会社もあり、帰国後に事業化に向けた取り組みを会社へ提案してみたものの、なかなか実現に至らせることができませんでした。

― なかなか実現に至らなかったのには、どんな背景があったのでしょうか。

澤村:市場が明確でなかったことや実績がなかったことが挙げられると思います。よく「イノベーションのジレンマ」と言われますが、製品やサービスの供給責任、社会的責任、雇用する社員をはじめ、背負うものが大きくなるほど、誰もがはじめは反対するような斬新な挑戦は難しくなるものです。これは構造的なもので仕方のないものだと思っています。当時、無機膜の市場はほとんどなく、これからの時代。数千億円、数兆円という市場があると明確に示せる状況ではありませんでした。まだ育ち切っていない需要に対して動くのは難しかったのです。「これは自分でやるしかない」と思い、2013年に日立造船を退職し、起業することにしました。京都のけいはんな地区の本社を構える形で、自己資金の一部を資本金としてスタートしました。本社といっても、当時はスペースの限られた一区画という感じでした。

創業当時の澤村さん(写真提供=イーセップ)

創業直後、想定外の事態に

― ディープテックスタートアップというと「シーズ技術」が根幹となりますが、どのように作られたのでしょうか?

当時の私の考えが甘いところもあり、独立のご祝儀として古巣(旧日立造船株式会社)からお仕事をいただけると勝手に期待していたのですが、いただくことはできず。。また、退職時に結ぶ競業避止(在職中や退職後に、所属する企業と競合する他社への就職や、同種の事業を自ら立ち上げることを禁ずる義務)によって、それまで自分自身が取り組んできたゼオライト膜も使えないとなりました。創業早々、勝手にアテにしていた技術は使えないとなり、手元に何もない状態になったというわけです。さぁどうするかと考え、国内の有力研究室の先生のもとを訪ね、自身が起業したことに加え、先生の研究成果を社会実装させていただきたいことを伝えました。その結果、弊社のコア技術となったのが、当時はまだ誰も事業化に本腰を入れていなかったシリカ膜(ゼオライト膜とは異なる種類の無機膜)です。同じ要領で社会実装を望む国内研究室を訪ねて、複数大学とライセンス契約を締結することができました。

― 2026年現在は、ディープテックスタートアップの支援の仕組みやエコシステムがかなり作られて、シーズ技術と起業家を引き合わせるマッチングイベントなどもあります。当時はそれがほとんど無かったなか、ご自身でシーズ技術を探し、使わせていただく状況まで持っていかれたということですね。その後は、どのように過ごされていたのでしょうか。

澤村:創業当初は、個人としてのコンサルティングのような仕事も請け負いながら、なんとか食いつなぐような状況だったと思います。しかし同時に、研究開発も必要です。新品の設備を買うお金はありませんから、中古品を入手し、自力で修理して使えるようにしていました。また、膜自体は大学とライセンス契約を結んだといえども、そのまま産業化できるわけではありません。当時、無機分離膜における大きな課題のひとつはコストでした。すでに社会に広く普及している高分子膜(高分子で出来た膜のこと。浄水、海水の淡水化、滅菌などに利用されており、膜価格も無機膜に比べ安価)に比べると格段に高い。効率よく物質を透過処理できなければ、それだけ高価な膜が大量に必要になってしまいます。当時はまだまだ透過能力が足りず、企業が「使いたい」と思える性能に対して一桁は足りない状況でした。開発に地道に取り組み、ようやく勝負できるレベルに到達したのは、起業から数年経った頃(2020年頃)のことでした。

澤村さん。「膜は手段のひとつにすぎない。科学技術によって、社会や人に役に立ち、雇用を生み出すこと。
そして、地域、特に創業地である関西に貢献したい。」と語る。

実用化の壁を乗り越えるため、取り組んできたこと

― 実用化に耐えるような性能を追求されたことで、現在は化学メーカーをはじめ多くの企業様が、商業利用に向けて検討をされる状況になりました。ホームページには取引先企業様の名前も多く並んでいらっしゃいますが、ここに至るまでに膜の性能向上のほかにブレークスルーだったと思うことはありますか?

澤村:まずは、量産機による膜の連続生産を実現できたときですね。弊社の扱う膜は新しく、サプライヤーはいません。量産できない膜は当然誰も使っていただけませんから、6~7年間、量産技術の開発に取り組んできました。もうひとつは、製作した膜の評価技術です。弊社の膜にはナノレベル穴が開いているわけですが、そんなに小さいスケールの検査・評価技術は創業当初はありませんでした。ある分離膜を作ったときに、狙い通りのものが出来ているのか評価できなければ、研究開発のPDCAが回りません。それが出来たことがひとつのブレークスルーだったと思いますが、迅速で正確な評価ができるように今も継続的にブラッシュアップしています。

量産設備(写真提供=イーセップ株式会社)

また、ディープテックを扱っていると、とても研ぎ澄まされた結果に出くわすことがあります。ある種の美しさをデータや現象から感じることすらあります。その感動を味わえるのは、研究開発の醍醐味ですね。弊社の場合は、例えばメタノール合成の実験をしていたとき、『通常の方法だとわずかしかメタノールを合成できないのに弊社膜を使ったらものすごい量ができる』と、現場でデータを目撃したときにはとても興奮しました。

社会をより良いものに。ゲームチェンジの手段として科学技術がある。

― 澤村さんの個人的な価値観についても、もう少し深掘らせていただければと思います。大学時代から研究されてきた膜のスタートアップを作られたわけですが、起業によって最終的に成し遂げられたいことは何でしょうか?人生をかけて膜技術を社会実装することでしょうか?

澤村:私は膜という手段にこだわりがありません。科学技術によって、社会や人に役に立ち、雇用を生み出すこと。そして、地域、特に創業地である関西(京都)に貢献したいというのが究極的に実現したいことです。他者を蹴落とすようなゼロサムゲームにはあまり関心がなく、社会全体が底上げされるような状態がどちらかといえば好みです。

その価値観の根底には、私を化学に目覚めさせてくれた、浪人時代の予備校授業があるのだと思います。「ハーバーボッシュ法の発明により、肥料であるアンモニアの大量生産への道が拓け、世界の食糧危機を救った」。私が科学をやっている動機は、予備校生の頃から同じで、ゲームチェンジ・社会の役に立つことです。論文を書くことや真理の追究には実は関心があまりありません。

もうひとつは、レベルの高い科学技術を追求する組織でありたいということです。技術のポテンシャルがもっと発揮され、社会が幸せな状態にしたいと思うからです。化学産業は、クラシックな技術をいたるところで未だに使っている業界です。技術的にたとえ優れていても、実績がないなどの理由で使われていない。みんなが難しいなら自分がやろうという想いです。当然まずは、膜技術を事業にしないといけませんが、膜は手段にすぎません。特定の技術にこだわらず、やりたいことはたくさんあります。メタノール水溶液で車を動かすとか。ガソリンよりもメタノール水溶液の方が、車両上での排熱回収や燃料電池利用が可能になれば、達成できる総合エネルギー効率が良いからです(MeOH + H2O → CO2 + 3H2。発生した水素で燃料電池利用、あるいは水素エンジン利用。)。このように、世の中にインパクトのあること、ゲームチェンジになることをチームとして追い求めるべく、仲間を増やしていきたいと思います。

京都府けいはんな地区にある本社オフィス(写真提供=イーセップ株式会社)

― ありがとうございます。さまざまな要素技術が揃い、これから一層、実用化に向けてアクセルを踏むステージにいらっしゃると思います。どのような方を探していらっしゃいますか。

澤村:素直で明るく、ポジティブな方です。誰かを蹴落とそうとはしない人。ゼロサムではなく、組織や社会全体として上がっていくことを重視する方とご一緒したいと思います。ディープテックスタートアップは、例外なくハードな世界です。簡単には実現できませんし、ひとりでは出来ません。誰かにやってもらうのではなく、自らの手で技術のポテンシャルを解放し、社会に役立ちたいという方はぜひお話したいです。

インタビュアーあとがき

実はインタビュー前までは、『これまで長らく研究してきた膜技術を人生を賭けて実用化したい。そのために起業しました。』というお考えなのかと勘違いしていました。むしろその逆。技術は手段のひとつであり、社会をより良いものにしていきたいという強い想いがおありでした。昨今叫ばれている王道の創業ルートからは異なる形を辿っておられますので、最後は起業家本人の気合いの世界なのだと改めて感じたインタビューでした。多くの事業家・起業家の方々の参考になれば幸いです。

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