自腹100万円まで、と決めて事業の種を育ててみた話
有名企業やスタートアップの創業ストーリーを読むと、しばしば「すべてはガレージから始まった」「最初のオフィスは、アパートの一室だった」という話が出てくる。例えば、ソニーグループは1946年(昭和21年)5月、資本金19万円従業員数約20名の小さな会社「東京通信工業」として、戦後の東京・日本橋に焼け残ったビルから始まったと伝えられている。小さな部屋から始まった何かが、やがて大きな会社になる。創業当時の狭い部屋の写真などが残っていると、なおさら物語になる。
私も一度、似たようなことをやったことがある。ただし、会社を作ろうと思っていたわけではない。「これ、ちょっと面白いんじゃないか」と思い、試してみたものだ。うまくいったら、そのとき初めて事業を考えてみよう。失敗しても、自腹100万円までならギリギリいい。そんな、半分趣味、半分実験くらいの気持ちだった。
そして結論から言うと、普通に失敗して撤退した。それもまた、人生の盛大なネタになるかなと思い、今回はその話を書いてみたい。
育てようとしたのは、ミズゴケだった
私が興味を持ったのは、ミズゴケの人工栽培だった。ミズゴケは、園芸をする方なら見たことがあるかもしれない。胡蝶蘭などを育てるとき、土の代わりに鉢の中に詰められている、細長い繊維状のコケである。

ミズゴケには高い保水性がありながら、ふんわりと敷き詰めることで通気性も確保できる。そのため、園芸資材として独特のポジションを持っている。流通品には品質差があり、長く、不純物が少なく、きれいなものほど価値が高い。ホームセンターなどで安価に売られているものもあれば、園芸の専門用途で使われる高品質品もある。ミズゴケの代表的な産地はニュージーランドで、良い状態のものは30cmほどの長さにもなる。安価なものはブチブチに切れておりゴミの混入も多い。
私がミズゴケに関心を持ったきっかけは、コケ産業に関わっている方々から、良質なミズゴケの供給課題についての話を聞いたことだった。高品質なミズゴケはキロ単価が1万円を超えるほど単価が高く、しばしば在庫切れも起きていた。コケ栽培に関わる方に聞いてみると、「ニュージーランド産は実際、足りなくなることはある」「中国では人工栽培にも取り組んでいるらしい」という話も聞いた。国内外でも、ミズゴケの大量栽培に取り組んだ民間企業の記録が残っていた。

市場規模も調べたが、まともな数字はほとんど見つからなかった。世界市場○億円、日本市場○億円、といった資料が簡単に出てくるような市場ではない。それくらいニッチなのだと思った。
ただし、需要が存在しないわけではない。日本中のラン農家は、栽培資材として確実にミズゴケを使っている。贈答用として出荷される胡蝶蘭などにも、培地としてミズゴケが使われる。そして、ミズゴケは永久に使えるものではない。時間が経てば劣化するので、植え替えなどのタイミングで交換される。つまり、大きな成長市場かどうかは分からなくても、少なくとも継続的に消費される需要はあった。
なお、第一次世界大戦の頃には、ミズゴケの吸水性や抗菌性を利用して脱脂綿や赤ちゃんのおむつとして欧米では使われていたそうだ。

一方で、あまりにニッチでもある。大企業が「次の成長事業はミズゴケだ」と言って、何十億円も投資するような市場にはどう見ても思えなかった。私はむしろ、そこがよかった。市場は小さくてもいい。でも、すでに買っている人がいる。既存の民間企業がわざわざ本腰を入れて参入するほど「意識の高い市場」ではない。だからこそ、小さくやるには面白いかもしれない。
もちろん、この時点で「国産の高品質ミズゴケなら必ず買ってもらえる」と確認したわけではない。顧客候補に購買意思まで聞いたわけでもない。それでも、国産で、質の良いミズゴケを安定供給できれば、価値があるかもしれないくらいの勝ち筋の仮説は持っていた。完全な思いつきではない。でも、確証があるわけでもない。私としては、そのくらいで十分だった。
普段は「まず顧客に聞きに行こう」と言っているのに、技術開発から始めた
私は普段、新しい事業を考えるとき、「手を動かす前に、まず顧客に聞きに行った方がいい」とよく言っている。技術を作り込んでから、「これ、誰か欲しいですか?」と聞きに行くのは危険だからだ。
にもかかわらず、ミズゴケについては最初に顧客ヒアリングへ行かなかった。先に育て始めた。自分で言っていることと矛盾している。
ただ、自分なりには理由があった。今回の場合、そもそも人工環境でまともに育てられるかどうかすら分からない。何も見せられるものがない状態で、「新しい方法でミズゴケを作れるかもしれません。どう思いますか?」と聞いても、相手にかなりの想像力を要求することになる。
それに、技術的にまったく成立しないのであれば、事業性を考える意味もない。まず知りたかったのは、人工環境で、それなりに育てられるのか。そこだった。ここがダメなら話は終わり。だったら、そこまでは自分でやってみようと思った。
最初は、自宅の片隅からスタートした
まずは自宅で育ててみた。といっても、最初から特別な設備を作ったわけではない。
世の中には「パルダリウム」と呼ばれるものがある。水槽の中に、水辺や岩場、植物、コケなどを配置し、小さな熱帯雨林や湿地のような環境を再現して楽しむものだ。専用の水槽も市販されているし、内部を高湿度に保つために、自動で霧を吹くミスト装置なども普通に使われている。

ミズゴケも湿潤な環境を好む。だったら、まずは似たような環境を自宅の中に作ってみればいい。発想としては、その程度のものだった。

部屋の片隅に水槽を置き、その中でミズゴケを育ててみることにした。もちろん、室内で頻繁に水を撒いて、床や壁をびしょびしょにするわけにはいかない。そこで、水分が外に飛び散らないよう、ある程度閉じた空間の中で湿度を保ち、自動的に霧吹きができるようにした。照明を当て、定期的にミストを出し、あとは育つのを待つ。
今振り返れば、研究設備というより、少し本格的なパルダリウムを作ったと言った方が近い。ところが、やってみると案外育った。
もちろん、この時点では何かを「事業化」しようなどとは考えていない。ただ、少なくとも、人工的に作った室内環境でもミズゴケを育てること自体はできそうだということが分かった。すると、少し欲が出てきた。一つの水槽の中なら育つ。では、これをもう少し大きなスケールでやったらどうなるのだろう。そこで次の実験に進むことにした。
月3万円のワンルームを借りた
1Rの部屋を一室借りた。家賃は月3万円ほど。

そこに業務用の大きなラックを入れ、栽培槽を並べた。LED照明も用意した。植物栽培用の大きなLEDは特注した。エアコンもLEDも24時間つけっぱなし。こうして、月3万円のワンルームが、私の小さな栽培試験場になった。「植物工場」と呼ぶには、だいぶホームセンター感があった。メタルラックがあり、透明な容器が並び、LEDがぶら下がっている。

でも、私は立派な設備を作りたかったわけではない。知りたいことは単純だった。人工環境で育つのか。条件を変えれば成長速度を上げられるのか。品質の良い、長いミズゴケを作れるのか。
もしここで、「これは案外いけるかもしれない」というところまで行ければ、そのとき初めて誰かに話を聞きに行けばいい。そのくらいの感覚だった。
100万円まで。それ以上はやらない。
この実験を始めるとき、自分の中で一つだけ明確に決めていたことがある。100万円以上は使わない。
自己資金で100万円。ここまで使っても、「これは誰かに見せて話を聞きに行ってもいい」というところに届かなければやめる。そう決めていた。
ワンルームの家賃に管理費、電気代などを入れると、毎月4万円ほどかかった。年間で約48万円。ラックやLED、栽培槽などの設備で数十万円。ほぼこれで100万円弱になる。
もちろん100万円は安くない。失えば痛い。趣味としてはずいぶん高いが、実験であり、勉強であり、もしかしたら何かの種になるかもしれない。そこまで全部込みなら、大人の遊びの範囲かなと思った。
もし強運にも、「これはすごいものができたかもしれない」となったら、そのとき初めて本気で考えればいい。最初から会社を作る気も、大きな事業を立ち上げる気もなかった。
私がやりたかったのは、「意識の低い起業」だった
当時の自分には、もう一つはっきりした価値観があった。もしこれが本当に面白いものになったとしても、スタートアップ的な急成長は目指したくなかった。自分では「意識の低い起業」と呼んでいた。
私はスタートアップで働いてきた。あのスピード感は好きだ。ものすごい勢いで意思決定し、人を採り、資金を使い、前へ進んでいく。中にいると、とても面白い。
でも、それを自分自身がオーナーとしてやりたいかというと、少し違った。私はたぶん、かなり慎重派なのだと思う。別に急成長しなくていい。ちょっとずつでいい。自分の思うように操縦したい。
そして、生物はそもそも急いでくれない。条件を変えて、待つ。育つのを待つ。結果を見て、また条件を変える。その間にも、家賃は発生する。人を雇えば人件費も発生する。固定費だけは、こちらの実験結果に関係なく減っていく。
生物のスピードが、キャッシュが減るスピードに対抗できない。だったら、まずは自己資金で、自分の速度で進めたかった。
技術のリスクを取るなら、市場のリスクまでは取りたくなかった
ミズゴケを選んだ理由も、ここにつながっている。
新しい栽培方法を考えている時点で、技術的なリスクは十分に大きい。人工環境で、本当に高品質なミズゴケを安定して作れるのか。それだけでも分からない。
だったら同時に、「そもそも欲しい人がいるか分からない」というリスクまでは取りたくなかった。
今回のミズゴケについて、市場性をきちんと検証したわけではない。買い手候補に「この品質でこの価格なら買います」と握ったわけでもない。そこまで行く前だった。

ただ、市場規模の統計は見つからなくても、需要の存在は見えた。ラン農家が使っている。贈答用の胡蝶蘭にも使われる。劣化すれば交換される。高品質品は高単価で流通している。在庫切れも起きている。業界の方に聞けば、供給が不足することがあるという話も出てくる。海外では人工栽培に取り組んでいるという情報もある。国内にも過去の先例がある。

だったら、少なくとも、技術ができても誰も欲しがらない完全な暗闇ではなさそうだ。そう考えた。
私は、巨大市場を狙いたかったわけではない。むしろ逆だった。技術でリスクを取るなら、市場については「すでに買っている人がいる」という安心材料がほしかった。そして、巨大企業がわざわざ参入するほど魅力的ではない市場の方が、自分には合っているように思えた。
市場まで確証を取ってから技術を試したかったわけではない。逆に、何の価値仮説もないまま技術だけを掘りたかったわけでもない。「もし技術が成立したら、ここに価値がありそうだ」という仮説だけは持っておく。そのくらいのバランスが、自分にはちょうどよかった。
そして、普通に失敗した
結論を書く。
失敗した。

人工環境でミズゴケを育てること自体はできた。ただ、「あとは設備を増やせば、それなりに量を作れそうだ」というところには行かなかった。
栽培を続けていると、なぜか変色して死んでしまう。長く伸ばそうとしても、期待していたような長さにならない。温度、湿度、光、水、栽培方法。いろいろな条件を振った。それでも、「これならいける」という条件は見つからなかった。
科学実験とは、たぶんそういうものなのだと思う。思った通りにいかないことの方が多い。理屈ではいけそうでも、生物はその通りに動いてくれない。
そうこうしているうちに、100万円のラインが近づいてきた。もう少し設備を買うこともできた。あと数か月続けることもできた。もしかすると、その先に答えがあったのかもしれない。
でも、最初に決めていた。
100万円まで。
そこまで使っても、顧客候補にサンプルを持っていけるところまで届かなければやめる。だからやめた。
悔しい。ただそれだけだった。
「新規事業には撤退基準が重要だ」という話をしたいわけではない。当時の感情はそんなにきれいではなく、ただ悔しかった。それだけだった。
自分の無力さを感じた。もう少し知識があれば。もう少し実験が上手ければ。もう少し続けていれば。そんなことはいくらでも考えられる。
「起業家は何十回も失敗して、一度成功する」みたいな話を聞くと、他人の話なら格好よく聞こえる。でも、自分が失敗すると普通に自信をなくす。自分には失敗経験ばかり増えていくな、と思った。正直、少し恥ずかしい。
こういう”手前の味見”はもっとあっていいと思う
一方で、この経験をして思ったことがある。こういう、まだ事業とも呼べない、種のようなものを試す時間は、もっとあっていいのではないか。

特に技術起点のテーマは、理論や仮説だけでは進みにくい。「こういう原理だから、たぶんできます」「こういう市場があるから、価値がありそうです」と言われても、実際には怖い。顧客側からすれば、「で、データは?」「実物は?」となる。結局、どこかで一度はやって見せる必要がある。
でも、その一方で、まだ箸にも棒にもかからない段階から、ビジネスモデルキャンバスを埋めて、売上計画を作って、中期計画を作って、社内稟議にかけて、「これは新規事業です」と扱い始めるのも、私は少し違うと思っている。
そんなに大げさにしなくてもいい。
まず試してみればいい。
「たくさん」試せることが大事だが、事業仮説は必要
ここで大事なのは、たくさん試すことだと思う。
科学技術は、うまくいかないことの方が多い。今回のミズゴケもそうだった。一つのテーマに大きな期待を背負わせるより、小さな種をたくさん育ててみる。少しだけ時間を使う。少しだけお金を使う。ダメならやめる。何か見えたら、もう少し進める。そのくらいでいい。
ただし、何でも好き勝手にやればよいとは思わない。
ここには条件がある。
私がミズゴケを選んだときにも、「国産で、質の良いミズゴケを安定供給できれば価値がありそうだ」という仮説はあった。在庫切れという現象があった。業界の人の話があった。海外での人工栽培の情報もあった。国内で過去に挑戦した企業もいた。
もちろん、どれも決定的な証拠ではない。でも、「技術が成立したら、誰にどう価値がありそうか」という方向感くらいは持っていた。
私は、それが大事なのだと思う。
技術として面白そうだから、とにかく研究する。何に使えるかは後で考える。10年ほど前、「セレンディピティ」が重視され、民間企業ですら長期的視野に立った研究の重要性が説かれたときがあったが、それはやりすぎだと思う。そういう探索が悪いとは思わない。基礎研究にはもちろん別の価値がある。
ただ、少しでも「事業になるかもしれない種」を探しているのであれば、最低限の勝ち筋仮説はあった方がいい。
ただし、その仮説を最初からPowerPointの中で完成させる必要はない。試してみる。見てみる。触ってみる。ダメなら捨てる。少し面白ければ、そのとき初めて人に話を聞きに行く。
そういう順番でもいいと思う。
すべてはアパートの一室から始まった。そこで終わった。
私のミズゴケ栽培は、アパートの一室から始まった。そして、アパートの一室で終わった。
世界的企業の創業ストーリーにはならなかった。残ったのは、使わなくなったラックとLEDと、水槽と、100万円弱の出費だった。
でも、一つだけ、自分の中には残ったものがある。
最初から「事業」にしなくてもいい。最初から大きな意味を持たせなくてもいい。「面白そうだから試してみる」で始めてもいい。
ただし、なぜ面白そうなのか。もしうまくいったら、誰に価値がありそうなのか。その仮説くらいは持っておく。そして、どこまでなら失敗していいかも先に決めておく。
私の場合は100万円だった。
100万円では、ミズゴケを誰かに自信を持って見せられるところまで育てられなかった。だからやめた。
悔しかった。
でも、こういう小さな失敗をたくさん許せる方が、結果として面白い種に出会えるのではないか。
今はそんなふうに思っている。

