人生に攻略本は必要ですか——考えることは、なぜこんなにも面白いのだろう。

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今回は、いつもとは少し変わった内容になります

普段のTechBizでは、ディープテックスタートアップや事業開発など、私自身が経験してきたことに基づいて書かせていただくことが多いのですが、今回は少し違うテーマについて考えてみたいと思います。

テーマは生成AIです。

……といっても、「おすすめの生成AI」や「プロンプトの書き方」を紹介したいわけではありません。むしろ逆で、生成AIを毎日のように使っている私自身が、最近感じている違和感について書いてみたいと思います。

正直、この内容にどれだけ共感していただけるのか、自分でも分かりません。いつものTechBizとは少し毛色が違う記事になると思いますし、「事業開発メディアなのに、なぜ急に人生論なのか」と思われる方もいるかもしれません。

それでも書こうと思ったのは、この半年ほど、どうしても頭から離れない問いがあるからです。

それは、『効率化を極めたとき、ひとりひとりの人間には何が残るのだろう』ということです。

私は生成AIを毎日使っている

最初に誤解のないように申し上げておきたいと思います。

私は、生成AIを否定したいわけではありません。

むしろ毎日のように使っています。思考の壁打ちやアイディア出しをするときも、旅行のプランを考えてもらうときも、資産運用の数値シミュレーションをするときも、生成AIはもはや仕事に欠かせない存在になっています。そして、最近は私の分身であるディープテック事業開発マンを作る過程でも生成AIを使っています(絶賛開発中ですので、ご関心ある方はお知らせくださいね)。おそらく、私の仕事の生産性は生成AIによって何倍にも向上しました。

だから、「生成AIを使うべきではない」という話をしたいわけでは決してありません。しかし一方で、最近こんな人たちに出会うことが増えました。

・生成AIで作ったことが一目で分かる営業資料をそのまま使う人

・生成AIから得た助言を、そのまま自らの発言として転用する人

・Deep Researchの結果を、編集せずにそのまま議論の出発点として利用する人

・契約書を生成AIでレビューし、そのまま法務を通さず相手方へ返そうとする人

繰り返しになりますが、私は生成AIの利用を非難するつもりは全くありません。しかし、なにか引っ掛かるのです。

最初は、「私はAIで手を抜くことをズルいと言いたいのか」「私はAIに頼っている人を軽蔑したいのか」とも思いましたが、しばらく考えてみて必ずしもそうでもないことに気付きました。私が違和感を覚えているのは、生成AIによる効率化ではなく、

「考える」という人間としての営みとの向き合い方です。

子どもの頃、攻略本が大好きだった

この違和感について考えていたある日、ふと子どもの頃のことを思い出しました。

当時おそらく小学生だった私は、ニンテンドー64のゲームソフトとして1998年11月に発売された『ゼルダの伝説 時のオカリナ』が大好きでした。読者のみなさんのなかにも、プレイした思い出がある方もいらっしゃるのではないでしょうか。

ゲームを始めると、攻略本を片手にどんどん進める。どこへ行けばいいのか、どのアイテムを先に取ればいいのか、ボスはどう倒せばいいのか。攻略本にはすべて書いてあります。

そんな私の横で、母も自身のセーブデータを作って遊んでいました。しかし、母は決して攻略本を使いませんでした。攻略本を使わないから、余計な動きが多く失敗も多かったのですが、そんな母の姿を見て、小学生の私は「どんくさいなあ」という感情を抱いていた気がします。ボスキャラに対して同じ失敗を繰り返し、何度もリトライをしていました。

「なんで使わないの。」

「その方が早いのに。」

「なんて効率が悪いんだ。」

子どもの私は、本気でそう思っていました。

しかし、大人になった今、その理由が少し分かるようになった気がします。

ゲームを早くクリアしたかったのではなく、ゲームの世界を自ら歩き、迷い、失敗し、自分で考えながら少しずつ前へ進む。母は、そのプロセスや時間そのものを楽しんでいたのだと思います。

生成AIが普及した現状に違和感を抱えていた私は、ふと小学生時代の「ゼルダの伝説」のことを思い出していたのでした。

生成AIは、ゲームで言えば攻略本のような存在なのかもしれません。

もちろん、攻略本を使うことが悪いわけではありません。私自身、子どもの頃は夢中になって読んでいましたし、効率よくゲームを進めるという意味では非常に優れたツールだったと思います。しかし、大人になった今、もしもう一度『時のオカリナ』を遊ぶとしたら、おそらく私は攻略本を開かないでしょう。

自分で考え、迷い、失敗しながら世界を旅した方が、きっと面白いと思うからです。

数学の先生は、答えを教えなかった

もう一つ、忘れられない出来事があります。

中学生の頃、私は高校受験に備えて学習塾へ通っていました。当時の私は数学が好きにはなれず、殊更、図形問題があまり得意ではありませんでした。高校受験の図形問題というのは補助線一本で景色が変わり、一気に状況を打開できることがあります。しかし、当時の私はちょっと考えて分からなくなるたび、数学の先生のところへ質問に行っていました。

しかし先生は、すぐに解答集を開くことはせず、いつも先生自ら解いてくれるのでした。

私が横で立って待っていても、問題をじっと見つめながら、

「この補助線かな。」

「いや、違うな。」

「うーん……。」

そんな独り言をつぶやきながら、10分近く考え込むのです。

そして最後に、

「あ、そうか。」

と嬉しそうに笑う。

今思えば不思議なやり取りです。分からなくて聞きに行っているのに、先生はただ生徒と同じように「うーん」と悩んで解くだけ。私もその様子を見てるだけ。いつも「なんでわざわざ自分で解くんだろう…」と思っていました。

今振り返ると先生は、考えることとの向き合い方を身をもって教えてくれていたのかもしれません。

答えを知ることよりも、答えに近づくまでの試行錯誤。分からなくてもジッとしてグーッと考え込む。その過程そのものに価値があることを、私はあの先生から学びました。

それ以来、私は試験中も簡単に諦めなくなりました。

時間制限があっても慌てずに次の設問には行かず、手を動かし何本も補助線を引いてみる。

その姿勢は、今思えば仕事の姿勢にもつながっているように思います。

考えることは、なぜ面白いのだろう

この記事を書くにあたって、攻略本には決して頼らなかった母のこと、数学の図形問題を自ら解いて見せてくれた塾の先生のことを思い出していました。

二人に共通していたのは、答えへ最短距離でたどり着こうとしていなかったことです。

母は何度もゲームオーバーになった。

先生は、答えを知りたいだけなら解答集を開けば数秒で済むところを、10分近く「うーん」と考えていた。

効率だけを考えれば、どちらも無駄な時間だったのかもしれませんが、今の私にはその時間こそが面白かったのではないかと思えます。そしてこれは、私が今やっている仕事にもよく似ています。

新規事業開発では、最初に考えた仮説なんてだいたい外れます。

「きっとこの顧客が買ってくれる」と考えて会いに行っても、全く相手にされないことがしょっちゅうです。

「これは絶対に大きな課題だ」と思っていたら、「別に困っていません」と言われます。

逆に、自分では大したことがないと思っていた機能に、顧客が思いがけない価値を見出すこともあります。

新規事業開発という仕事は、延々とその繰り返しなのです。

でも、私はこのプロセスが好きなのだと思います。

仮に最初から「正解」が書かれた攻略本があって、

「この市場を狙いなさい」

「この顧客に売りなさい」

「この価格にしなさい」

「この順番で営業すれば成功します」

と全部教えてくれるなら仕事はずっと楽でしょうが、自分の頭で考えることを放棄して果たして面白いのでしょうか。

私はたぶん、すぐに飽きてしまうでしょう。

私にとって生成AIは、答えが書かれた攻略本というより、一緒にダンジョンを歩きながら、「こっちにも道があるんじゃない?」と言ってくれる仲間くらいがちょうどいいように思います。

最後にどちらへ進むかを決めるのは、自分でありたい。

なぜなら、その試行錯誤こそが、私にとって仕事の面白いところだからです。

私も「オヤジ」になったのかもしれない

とはいえ、ここまで書いていて、一つ気になることがあります。「あれ、これ昔も同じことを言われていなかったか?」ということです。

インターネットが普及し始めた頃、親世代はよくこう言っていました。

「今の子どもたちは、インターネットですぐ答えを調べようとする。」

当時の私は、そんな言葉をうるさく感じていました。

「答えがすぐ分かるなら、その方がいいじゃないか」

「便利なものを使って何が悪いんだ」

本気でそう思っていました。そして今、生成AIで簡単に答えを得る人たちを見ながら、「そんなにすぐ答えを求めていいのだろうか」などと考えています。

……完全に同じ構図だ……。

もしかすると、私は単に「オヤジ」になっただけなのかもしれません。

これから生成AIを当たり前に使って育つ世代にとっては、「AIに頼らず自分で考えることも大切だ」などと言っている私は、かつて「インターネットですぐ調べるな」と言っていた親世代と同じように見えるのでしょうか。

便利になって浮いた時間まで、さらに何かを効率化することに使い続けたら、その先には何が残るのだろう。私がこの半年ほど抱えていた違和感は、たぶんそこにあります。

最後に:攻略本を閉じてみる

私は今でも、考えがまとまらなくなるとノートを開きます。矢印を書き、丸で囲み、線でつなぎ、違うと思ったら消して、また戻る。生成AIに入力すれば数秒できれいに整理してくれるようなことを、30分くらいかけて紙の上でぐちゃぐちゃと考えることもあります。

効率は悪いけど、私はその時間が嫌いではありません。

むしろ、そこで突然、

「あ、そういうことか」

と、かつて図形問題の解法をひらめいたときのように、自分なりの答えが見つかった瞬間が好きなのです。

生成AIは、これからもっと賢くなるでしょう。

私より多くのことを知り、私より速く情報を処理し、私よりきれいに文章を書き、様々な場面で私より良い「答え」を出すようになると思います。

だからこそ、私は生成AIと競争したいとは思いません。

一緒に旅をする仲間として使いたいと思います。

相談はする。

壁打ちもする。

知らないことは教えてもらう。

自分の考えに穴があれば指摘してもらう。

でも、最後にどちらへ進むかは、自分で決めたい。

これは私の仕事であり、私の人生だからです。

だから私は今日も生成AIに問いを投げかけます。

答えを求めるためではなく。

考えることを、もっと楽しむために。

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