はじめに:「まずは無償で」は、本当に正しいのか
「まずは、無償でサンプル出荷しよう」
「初期のお試しは、無償でお受けしますよ」
新規事業開発の現場には、「無償」というアプローチが溢れている。
「フットワーク軽く」「スモールスタートで」「まずは間口を広げるために」。そんな言葉とともに、無償で価値を提供することが正当化される。また、大企業では、有償販売すると契約や品質保証など様々な社内手続きが発生して面倒だから、むしろ無償提供の方がやりやすい、ということもある。
しかし私は、ビジネスを作るという意味においては、無償で価値提供することには反対だ。

私自身も事業開発として無償提供に何度もトライしてきたからこそ、そう思うようになった。なぜなら、「無償なら試したい」という顧客と、「お金を払ってでも買いたい」という顧客は、似ているようで全く違うからだ。
無償で提供して分かるのは、「タダなら使ってくれるか」である。
一方、事業開発で本当に知りたいのは、「この顧客は、自社が提供する価値に対して、本当にお金を払ってくれるのか」である。
この二つの問いの間には、想像以上に大きな溝がある。BtoCかBtoBか、素材か設備か、あるいはサービスなのか。売ろうとするものによって適切な価格は当然異なる。それでも、私はたとえ少額でもいいから、できるだけ早い段階でお金を払っていただくことが重要だと思っている。
今回は、無償でお客さんを集めたものの、そこから収益化することに失敗した私自身の経験をいくつか紹介しながら、なぜそう考えるようになったのかを書いてみたい。
潜在顧客インタビューだけでは分からないこと
新規事業開発の初期において、「顧客が本当に買いたいか」を検証することが重要なのは、もはや常識になりつつある。

初期顧客、アーリーアダプター、First Penguin。呼び名は様々だが、とにかく潜在顧客に話を聞き、
「顧客の課題は”痛み(pain)”と言えるほど、本当に強烈なものなのか」
「当社のソリューションは、顧客にとってNice to haveではなく、Must haveになれているのか」
「その課題を解決するために、顧客はすでに何らかのリソースを投じているか」
といったことを確認する。10年以上前、私が新規事業開発に携わり始めた頃は、「顧客が欲しがるものを作れ」「作る前に、本当に買うか聞いてこい」という教えが中心だったように記憶している。当時、私の身の回りで「課題」や「ペイン」といった言葉を頻繁に聞いた記憶はない。
それがいつからか、「Nice to haveではなくMust haveを探せ」「顧客のペインを特定しろ」と言われるようになった。さらに最近では、「ペインを聞くだけでは足りない。その課題を解決するために、顧客が実際に何らかのリソースを投じているかまで確認しろ」と言われる。
こうした新規事業開発の教えも、おそらく先人たちの膨大な失敗が積み重なった結果、少しずつ体系化されてきたのだろう。成功には再現性がないが、失敗には再現性があるからだ。私自身、新規事業を検討するときには、こうしたプロセスをほぼ全て実行する。

しかし、それでも私は「さっさと有償で売ってみる」ことに勝る仮説検証はないと思う。
ディープテックスタートアップでの失敗 ―― 「無償の味見テスト」
ひとつ目の失敗経験を紹介したい。
私がディープテックスタートアップの事業開発として、化学メーカーに新しい製造技術を売ろうとしていたときのことだ。
当時所属していた会社は、事業の0→1ステージを終え、さらに事業を拡大する1→10ステージに入りつつあった。だから、より多くの顧客を集めることが重要になっていた。相手は製造業の研究開発者や事業開発担当者。安心、安全、安定が極めて重要な製造業は、BtoBの中でも特に慎重な世界かもしれない。そこへ実績もない新しい製造技術を持ち込めば、当然、顧客は不安になる。
「本当にできるの?」
「失敗したらどうするの?」
「証拠もないのに、社内をどう説得すればいいの?」
もっともな話である。
しかし、当時の私は顧客を説得できるような具体的なエビデンスやデータを十分に持っておらず、理論で説明するしかなかった。当然、それだけでは顧客も納得できず、いわゆる「鶏と卵」の状態に陥っていた。
そこで実施したのが、無償テストである。

いきなり本契約してください、ではハードルが高い。だったら、まず少しだけ「味見」をしてもらおう。小規模なテストを無償で実施し、そこで可能性を感じてもらえれば、その先の有償契約につながるのではないか。当時は合理的な方法だと思っていた。
しかし、実際にはうまく行ったとは言い難かった。理由はいくつかある。
一つ目は、無償テストで集まる顧客と、実際に有償で買ってくれる顧客の特性が違っていたことだ。
無償テストを掲げることで引き合いは増えて忙しくなった。しかし、その後の有償契約になかなかつながらない。後になって振り返ると、無償を好む顧客ほど以下のような傾向があった。
価格交渉が激しい。
エビデンス提供や成果保証を要求する。
不確実性を、極端に嫌う。

もちろん、これら全てが悪い顧客だという意味ではない。しかし、少なくともリソースの限られた新規事業やスタートアップとの相性は良くないケースが多かった。不確実性の高い製品やサービスは、粗を探そうと思えばいくらでも見つけられる。ここで後になって気づいたことがある。
価格には、売上を得る以外に「顧客を選ぶ」という機能がある。
例えば100万円を払ってでも試したい顧客がいたとする。
その会社には、少なくとも100万円を払うだけの課題がある。予算を確保する意思がある。担当者には社内を説得する動機がある。ところが価格をゼロにすると、このフィルターが消える。顧客にとって、”Comfort zone”すぎるのだと思う。
「面白そう」
「無料なら試してみたい」
「勉強のために見てみたい」
「将来的には使うかもしれない」
そうした顧客も、全て同じ入口から入ってくる。無償によって間口を広げたつもりが、実際には自分たちが本当に探したい顧客を見つけにくくしていたのである。
もう一つ、無償テストには問題があった。
顧客は、しばしば「無償であること」を忘れるということだ。
無償である以上、自社が提供できるのは所詮「味見」である。使えるリソースも限られているから、顧客が最終的に求めるような成果を出せないことも多い。
ところが顧客側にも事情がある。

担当者は「なんとか上司や経営陣を説得しなければ」とプレッシャーにさらされている。だから、「この味見テストで、ものすごく良い結果が出てくれないかな」と期待してしまう。
そこで営業担当者は、「期待値調整」を始める。
「あくまでも味見ですから素晴らしい結果は出ません」
「本格的な検証には、次の有償ステージに進んでいただく必要があります」

そう念押しして顧客と「握る」のだが、この作業はあまりに属人的だ。握るのが上手い営業もいれば、下手な営業もいる。
独立前の失敗 ―― 「無償の壁打ちサービス」
もう一つ、全く違う商売で、私は同じ失敗をしている。
私がまだサラリーマンで、独立を考えていた頃のことだ。当時考えていたのが、企業の新規事業開発担当者、事業開発担当者向けの「壁打ちサービス」だった。
独立するにあたって私が重視していたのは、「いかに過剰なリスクを取らずに、検討している事業アイデアの良し悪しを検証するか」だった。毎月一定の収入がある会社員という立場を離れることは、やはり怖かった。個人事業主は、自分で仕事を取れなければゲームオーバーだ。だからこそ私は、サラリーマン時代に学んだ新規事業開発のノウハウをフル動員した。

世の中には既に似たサービスがたくさんある。サービスそのものに新規性はない。しかし、「私」という個人が持つ経験や知識を競争優位性・模倣困難性として活用すれば、個人事業としてなら成立するのではないか。そんな仮説を持っていた。
そこで、まずは徹底的に調べた。
・顧客は誰か
・顧客の課題は何か
・市場は大きいか、成長しているか
・競合は誰か
・自分の競争優位性、模倣困難性は何か
インターネットなどで得られる二次情報だけでなく、潜在顧客へのインタビューも行い、一次情報も集めた。
ここまでは良かった。しかし、次の手が最悪だった。

私は、「新規事業に取り組む方々をサポートする壁打ちサービスを構想しています。○名様まで無償で対応させていただきます」と発信したのだ。何名かの方が興味を持ってくださり、実際に壁打ちを行った。
しかし、その中から有償契約につながった人は一人もいなかった。
今振り返れば、当たり前だったのかもしれない。
私は、
「無料なら私の壁打ちを受けたい人」
を集めていたのであって、
「私の壁打ちにお金を払いたい人」
を探していたわけではなかったからだ。
しかも当時の私は、サラリーマンとして事業開発をしていたときのような、強気で対等な交渉ができなかった。
会社員の私なら、「これはあくまで有償契約に進むかどうかを双方で見極めるための無償フェーズです。○○という結果が出たら、次の契約を検討してください」くらいはストレートに言っていただろう。しかし、自分自身の商品を売るとなると怖くなり、そんなことを一言も言えなかった。今思えば、そもそも私は何を検証するために無償サービスを提供していたのかすら、明確ではなかった。
最後に:無償と有償では、検証している仮説が違う
この二つの失敗を経験して、私の中では考え方がかなり変わった。
顧客の課題を解決し、その対価としてお金をいただくのが商売だ。どれだけ顧客が喜んでくれても、どれだけ「欲しい」と言ってくれても、提供価値と対価がバランスしなければビジネスにはならない。

だから、このバランスをできるだけ早い段階で確認することが重要になる。その方法はシンプルでさっさと売ってみることである。
もちろん、いきなり本格的に事業をスタートしろという意味ではない。
工場を建てる必要もない。
営業組織を作る必要もない。
広告・マーケ投資する必要もない。
顧客は、たった一人でいい。初期の販売には、売上獲得だけでなく、事業仮説を検証するという大きな意味がある。だからこそ、できれば想定している価格に近い金額で売ってみる。もちろん、初期顧客だからこそディスカウントすることはあっていい。
それでも、0円とは決定的に違う。顧客が自分の財布から1万円を出すという意思決定をしたからだ。
私は、無償提供そのものが悪だと言いたいわけではない。PMF(Product Market Fit)を実現し、製品が飛ぶように売れている段階では話が違う。その段階では、一人でも多くの潜在顧客に製品を知ってもらうために、無償サンプルや無料体験が極めて有効なこともある。
問題なのは、
「顧客がお金を払うか」を検証したいのに、無償提供によってそれを検証した気になってしまうことだ。
だから、新規事業の初期では、まず発注してくれる一人の顧客を探すべきだと思う。そして、その顧客に全力で価値を提供する。
なぜこの人は買ってくれたのか。
どんな課題を抱えていたのか。
なぜ今だったのか。
なぜ競合ではなく自社だったのか。
どの部分に最も価値を感じたのか。
どこまでならお金を払えるのか。
実際に価値を提供しながら顧客インサイトを集め、商品を改善し、次の顧客を探していく。1社が2社になり、2社が5社になり、5社が10社になる。そうやって事業を作っていけばいいのではないかと思う。

顧客インタビューは重要だ。
市場調査も重要だ。
ペインの特定も重要だ。
競合分析も、事業計画も重要だ。
しかし、それらをどれだけ積み重ねても、「本当にお金を払うのか」という最後の問いには答えてくれない。
その答えを持っているのは、顧客だけだ。

