はじめに
技術を起点に事業を立ち上げる──今も数えきれない挑戦が行われていますが、これは決して簡単なことではありません。大学での技術開発→企業での事業化というように順々に綺麗に立ち上げることはなく、技術と事業の間を行ったり来たりしながら立ち上げることがほとんどです。通常は、事業の分かるCEOと技術の分かるCTOがペアとなることが多いですが、どちらも一人で行える人材は驚くほど少ない。
有名ベンチャーキャピタルも、事業と技術の双方に精通した人材の少なさを指摘しています。

私自身、振り返ればずっと「技術サイド」と「事業サイド」を行き来してきました。研究開発現場で気まぐれな微生物や植物と毎日向き合っていた時期もあれば、顧客・経営陣・同僚とともに事業を作っていた時期もある。そのおかげで「技術を読む目」と「事業の輪郭を捉える目」が自然とつながっていったように思います。

けれど、なぜこの“二刀流”が希少なのか。
なぜ、技術を理解しながら事業を作る人がこんなに少ないのか。
今日は、その理由を静かに分解してみたいと思います。
なかなか揃わない3点セット
私の実感として、この3つを同時に満たす人は本当に稀です。
●技術のポテンシャルと実現可能性をバランスよく見極める
「この技術は何が新しくて、どこがすごくて、なぜ真似できないのか」を見抜けること。これは論文を読み込む能力だったり、偉い先生の太鼓判が得られているか等とは少し違っていて、自身の経験をもとにその技術が生まれるに至った過去に思いを馳せるような作業です。
さらに難しいのは、実現可能性の見極めです。時に、技術を事業にしようとする場合には”ノックアウト条件”なるものがあります。「この仮説が成立しない場合は、コストが合わない・事業になりえない」というものです。極力、起業する前に/資金調達する前に見極めておくべきです。『新規事業初期は、短所をつぶすよりも長所を伸ばせ』と言われますが、技術のポテンシャルを眺めながらも、したたかに実現可能性やリスクを見極めることが重要です。
研究開発に従事したことのある人ならよく分かっていることですが、科学実験というのはほとんどが失敗です。我慢した先に成果がありますが、「科学技術はまったく思い通りにならない」ということを知っていることは重要です。

●事業を手作りできる
市場・顧客・バリューチェーンを構造として把握し、「この技術なら、この隙間にはめれば勝ち筋があるな」と未来絵を描く力は当然重要です。しかし、抽象的な戦略や絵を描くだけでは不十分。仮説は顧客のいる事業現場でのみ検証できます。恥を恐れずに、お客様にコンタクトして仮説検証をガンガン進められるか。技術が開発途上であることを踏まえて、適切な知財法務戦略を実装できるか。科学実験と同様、事業もまた泥臭い行動の積み重ねが重要で、科学技術とは違って人間の感情が関わるドロドロした部分もあることを理解していることが重要だと思います。

●情報が不十分な中での意思決定に慣れている
技術も事業も、初期は不確実性だらけです。その中で「どこにリソースを投じるか」「何から先に判断するか」を取捨選択する胆力。
新規事業開発では、判断を下すに十分な情報が揃うことは永遠にありません。数メートル先は見えない、視界の悪い状況でも意思決定を繰り返すしかないと思います。

この3つが揃う人は、実は多くありません。日本では特に、研究者と事業人材のキャリアパスが完全に分断されている分、さらに出現確率が低い。
・技術が読める人は、事業が案外思い通りにならないことや実際の泥臭さやドロドロを知らない。
・事業ができる人は、技術が案外思い通りにならないこと、成果を得るためには我慢が必要であることを知らない。
その“あいだ”の領域は、ずっと空白のまま残っている。
大企業では構造的にこの役割が生まれにくい
大企業という組織は“変化を起こす側”より“変化を抑制する側”に最適化されています。
ノーベル賞受賞者である吉野彰氏(旭化成)がリチウムイオン二次電池を開発した時代は、研究者個人が比較的大きな裁量を持ち、曖昧さも許容されてきたと聞きます。
しかし現代は違います。
- 意思決定は重層化・定型化(例:ステージゲートによる研究開発管理)
- リスク許容度は低下
- ROIでの管理が強化
- 新規事業は説明責任が重い
- MBA的なフレームワークで“正しさ”が判定される
これは悪いことではないのですが、失敗のしにくい環境であるように思います。ディープテックのように「数年~10年後の構造変化を読む」タイプの事業にはなかなか噛み合いません。
すると、大企業にはこういう人材が育ちにくくなる。人は失敗しなければ成長できません。研究所勤務から、事業部門に異動というケースは数多くあるでしょう。しかし、大企業の中にいては、不確実性への耐性や自分なりに動いて失敗を多数経験するということが容易にはできません。
結果として、ディープテック型の新規事業はスタートアップが担うようになっていった。(スタートアップもまた難しいことは沢山あるのですが)ある意味、構造的な必然です。

アメリカでは”研究 x 事業”は自然なのに、日本ではほぼ存在しない
アメリカでは Ph.D ホルダーが起業したり、ベンチャーキャピタルに進んだりするのが当たり前です。
研究から事業への移動はごく自然なものとされています。
対して日本は完全に分断されている。
- 研究者は研究の世界に閉じる
- 事業人材は技術原理に触れられない
- キャリアの横断が制度的にも文化的にも難しい
結果として、技術を理解しながら事業を描ける人材が“構造的に”生まれにくい。
これは個人の問題というより、システム上そうなってしまっています。

私は幸いにも、研究で数年間実験に浸かった後、事業開発の世界に入り、“二刀流”の両側を経験することができました。意図してそういうキャリアを選んだわけではないのですが、振り返るとその重なりが、今の私の思考パターンの源泉になっていきました。
技術の”新しさ”と事業になるかの”ニオイ”を同時に感じ取る
研究畑にいると、技術の新しさは分かりますが、その技術が事業になるかどうかについては距離がある。どうやって事業機会と技術の間を埋めたらいいのか分からず、実際にそれをやっている人を見れるチャンスも稀です。一度、スタートアップ創業者の真横にでもいなければ、なかなか学べません。
私は、シーズ技術に触れたとき、
- これは新しいか
- 他者に真似できないのがなぜか
- 上位概念(ゲームチェンジ)になりうるか
- プロダクトらしきものが既にあるか or 初期プロダクトを作るまで何年・何億の研究開発が必要か
を粗く見ます。
上位概念というのは、核融合、合成生物学、MOFみたいに、それだけで一定の塊をもった分野を示せる概念です。逆に、合成生物学向けのツールとか、MOFの分析装置みたいなものは、上位概念にぶら下がった技術です。どちらにも社会的に意味はあるのだと思うのですが、こと、ビジネス化ということを考えると全体コンセプトを司り設計する”元締め”が美味しい想いをするというのは世の常であるように思います。
「技術を事業目線で読む」というより、
まず技術を技術としてまっすぐ見る 感覚です。
あくまでも事業を目的にするので、”科学法則”としての美しさや新規性、進歩性は求めません。
むしろ泥臭い技術のほうが、大資本が見ない隙間があり、勝てる可能性が高いとも感じます。
そして同時に、頭のどこかでは
- この技術で、どの市場・取引に入り込めるか
- 製造コストはあうか
- 商業スケールはイメージできるか
という“事業の匂い”を嗅ぎ取っています。
私自身は技術と事業の見極めを一人で行いますが、別々の人間が行うことが通常は多いかもしれません。しかし、技術と事業の両方の言語が分かると、自然と一人の人間の頭のなかで技術⇔事業、抽象→具体の思考が高速に行ったり来たりできることになります。

結論:この領域は「生み出せない」のではなく、”構造的に生まれない”だけ
私は自分が特別だと思ったことはありませんが、
「技術を理解しながら事業を作る」という役割は、構造的に人材が生まれにくい領域です。
だからこそ言いたいのは、技術を発明・開発したご本人はぜひ事業開発そのものも責任者として実行してほしいといういうことです。もちろん、CEOとCTOというペアを組んで進めるのもあるでしょう。しかし、独りの人間の脳内で事業⇔技術の往復を高速にできることは事業を進めるうえで大きなアドバンテージになります。できれば、社長候補、CEOに丸投げするのではなく、思い切って事業開発に飛び込んでほしい。
私自身も、事業開発に挑戦する技術者のお手伝いを今後も極めていきたいと思います。

