研究者一筋だった私は、30歳のときディープテックスタートアップの事業開発/営業に転職した。サラリーマン家庭に生まれた私は、商売や営業とは無縁の環境で育った。正直、営業という仕事を馬鹿にし嫌ってもいた。
本当に売れるか分からない、実績も保証もない商材。しかも、新しい科学技術を使った商材で、多くのお客さんの反応は「本当にできるの?」だった。
転職して2年ほどは営業が辛くて辛くて仕方なかった。いつも心の中では「買ってください」「付き合ってください」と追いかけている気分だった。病みかけたこともある。
しかし、ある頃を境に、事業開発/営業は楽しくゲーム感覚のものに変わっていった。ひとつのきっかけは、無理に売ろうとしないこと。追いかけないこと。勝てるディールを選ぶことだった。
新規事業は”弱者”がどう勝つかというゲーム
ディープテック新規事業では、
「良い技術を広く売ろう」とした瞬間に負けることが多い。
むしろ重要なのは、
“極めて限定的でも、自社しか勝てない局地”を作ることだ。
最近、『ランチェスター戦略 「弱者逆転」の法則(日本実業出版社)』という本に出会った。
(宣伝ではないが、とても読みやすくおすすめだ)
ランチェスター戦略 「弱者逆転」の法則
もともとランチェスター戦略という言葉自体は知っていたし、「弱者が強者にどう勝つか」を考える理論だということも何となく理解していた。しかし今回改めて読んでみて、「自分がディープテック事業開発の現場でずっとやってきたことは、これだったのか」と妙に腹落ちした。
ランチェスター戦略は、もともとは戦争理論であり、その後ビジネスに応用されるようになった。中小企業が大企業にどう勝つか、という文脈で語られることが多いが、本質は「弱者がどう勝つか」である。
有名な例としてよく挙げられるのが、織田信長が今川義元を破った「桶狭間の戦い」だ。兵力では圧倒的不利だった信長軍だが、敵を分散させ、狭い局地戦へ持ち込むことで勝利したと言われている。
つまり、真正面から総力戦をするのではなく、「勝てる局地を作る」という考え方である。
これは、ディープテックの新規事業開発と極めて相性が良い。
なぜなら、新規事業を試みている企業は本質的に“弱者”だからだ。
創業100年の大企業であっても、新規事業においては市場シェアを持っていない。顧客理解も足りない。割り当てられる予算も人的リソースも不足する。
一方、市場には既に強者が存在する。
既存プレイヤーは、
・ブランド
・供給力
・営業網
・実績
・価格競争力
・サポート体制
など、あらゆる面で優位を持っている。

そのような相手に対して、真正面から体当たりしても勝てない。
では、どうするのか。
私自身は、これまでの事業開発経験の中で、一貫して以下のような考え方を取ってきた。
勝てるディールに集中する
逆に言えば、勝てないディールは追わない。
ここでいう「勝てる」とは曖昧な勝ち負けではなく、以下のような具体的な条件を満たすものを指す。
| 勝てるディールの構成要件 | 構成要件をあぶり出すためのポイント例 |
|---|---|
| (1) ある条件・領域下において、 オンリーワンのソリューションになれる | ・顧客は代替策を持っているか。 ・代替策の課題は何か。 |
| (2) 顧客のペインが明確である | ・顧客は課題を回避・抑制するためにリソース・代償を払っている事実があるか。 |
| (3) ペイン解消による効果が大きい | ・事業全体の収益性が数十%単位で改善する。 ・好ましくは事業機会・売上が拡大する。 |
もっとも重要なのは、(1)の「オンリーワン」である。
「そんなに素晴らしい技術があれば苦労しないよ」
「オンリーワン技術を生み出すのが難しいんだろ」
と思われるかもしれない。
この点は、ディープテック界隈でかなり誤解されている気がする。
ここで言うオンリーワンとは、ノーベル賞級の唯一無二の技術を意味しているわけではない。
“局地的にオンリーワン”であれば良いのだ。
重要なのは、“オンリーワンを実現する条件を見つけること”だ。

経験上、どんな技術でもオンリーワンになれる場所は見つかる。しかし、それを起点に創業メンバーが期待するような売上規模にまで成長できるかは運次第なところがある。
オンリーワンの局地を作る切り口はいくらでもある。
・業界
・地域
・顧客属性
・販売方法
・販売価格
・訴求方法
・サービス形態
・製造方法
など、条件を掛け合わせていくことで、「その条件なら御社しか出来ないですね」という状態を作れる。
私はこれまで、微生物発酵、植物工場、コケ、マイクロ波化学反応、においセンサー、分離膜など、実にさまざまなディープテック商材を扱ってきた。いずれも製造業を対象にしたBtoBビジネスという共通項はあるものの、文字通り技術はバラバラで、業界も化学、医薬、電材、非鉄金属、エンジニアリング、設備、食品、化粧品と、実に幅広い業界に関わらせてもらった。
技術も業界もバラバラだが、振り返ってみると、常に探していたのは”オンリーワン”だった。
では、具体的にどうやってオンリーワンとなれる頂を見つけ出していたのか、仮想の商談を例にご説明してみようと思う。

局地的オンリーワンを作る商談のイメージ
(設定)私は、ディープテックスタートアップの事業開発担当として、潜在顧客と商談している。当社は、某国立大学の名誉教授が開発した触媒を使い、化学反応を効率化する技術を持っている。その触媒を使ってどんな化学反応を実施するかは、パートナー企業からアイディアを出してもらい、パートナー企業出資のもと、化学反応を開発する。
まず、私が「ダメだ」と思うパターン。
顧客:原材料Aから製品Bを作る新反応を、貴社の触媒でできるのではないかと期待しています。できませんか?
私:製品Bの生産量はどの程度でしょう?それから、製品B以外の副産物Cもできそうなんですが、どうですかね?
顧客:副産物Cができるのはちょっと困りますね。なるべく製品Bの収率が高くなるように条件を工夫できないでしょうか?あれをこうして・・・
ディープテックスタートアップでは、非常によく見る光景だと思う。
顧客から問い合わせが来ると、つい嬉しくなってしまう。そのままHOW(どう実現するか)の話に入り込んでしまうのだ。しかし、これでは「技術的な作業を受託・代行する会社」「コストベースの存在」を抜け出せない。

一方、私が理想的だと思うのは、以下のような流れだ。
顧客:原材料Aから製品Bを作る新反応を、貴社の触媒でできるのではないかと期待しています。できませんか?
私:できなくはないと思います。似た実績もあります。ただ、詳細は後で議論させていただくとして、まずは当社技術が御社にとって本当にベストな投資になるのか理解したいので、いくつかお聞きしてもいいですか?
顧客:はい、何でしょう。答えられる範囲にはなりますが。
私:製品Bって、ポリマーCの原材料になるものですよね。御社はポリマーCのトップメーカーでいらっしゃると思うのですが(心の声:売上100億くらいはあるよな)、ひょっとしてこの案件ってそのためですか?
顧客:はい、実はそうなんです。製品Bはこれまで某原料メーカーから購入していたのですが、その会社が競合他社に買収されるかもしれないという情報を得ました。製品Bはほぼその会社しか作れない状態なので、当社自身で内製化する必要性が急浮上しています。社長命令で検討チームが立ち上がったんです。
私:そうなのですか・・・。ただ、製品Bって、原材料Xからも作れますよね?ほかのルートからも作れるのではないですか?
顧客:はい、もちろん色々な製造ルートを調べたのですが、どれも研究レベルで。だから、A→Bのルートを取るしかないのですが、従来法のままだとコストが合いません。改善がMUSTなんです。そのとき、唯一見つかったのが御社の論文でして・・・
私:確かに、○○の性質を持つこの反応だと、原理的に弊社技術でしか解決できませんよねえ・・・。
もちろん、現実にはここまで綺麗に情報が出てくることはない。
ここでのエッセンスは「どんな順番で会話するか」だ。
ダメな例では、顧客の問い合わせをそのまま受け取り、即座にHOWの話へ入り込んでしまっている。
一方、理想例では、引き合いの背後にある事業情報を自ら取りに行っている。
つまり、「勝てるディールかどうか」を見極めているのだ。
理想的には、この後から技術議論へ入りたい。
最初からHOWへ没入すると、自社は“作業をアウトソースする相手”に見られやすくなる。
しかし、「御社の技術が唯一の解決策になりそうですね」という認識を顧客と共有できると、自社は“価値の源泉”として扱われやすくなる。

なぜ、オンリーワンにこだわるのか?
理由は単純で、顧客が代替手段を持たなくなるからだ。
オンリーワンになれれば、価格決定の主導権を持ちやすい。
もちろん価格の妥当性説明は必要だが、「他社より安くしてください」という単純な比較競争になりにくい。
一方、自社が横並び比較される立場に入った瞬間、主導権は顧客側に移る。

・相見積もり
・スペック比較
・価格比較
・顧客指定条件
などに巻き込まれやすくなる。
これは別に悪いことではない。
市場シェアを獲得した後の強者戦略としては、むしろ重要な戦い方だと思う。
このような戦いにあえて挑み、会社・組織のオペレーションを鍛えることも重要だと思う。
しかし、新規事業初期の弱者がそこで戦うのは危険だ。
特にディープテック領域では、
・品質安定性
・量産体制
・保証能力
・サービス体制
など、多くの面でまだ脆弱性を抱えている。
その状態で真正面から価格競争や総合力勝負に入ると、組織が疲弊する。
また、ディープテックでは「これは勝てそうだ」と思っていた仮説が、後から崩れることも多い。
だからこそ、人的リソースが限られる初期段階では、“勝てそうな局地”に集中投下した方が良い。
そして、オンリーワンになれる局地を選んで、高く売るべきだと思う。
局所戦なのだから、販売代理店やパートナーとわざわざ組む必要も基本的には無い。
そもそも、
「売れるかどうか」
「誰にどう売るべきか」
「何が本当の価値なのか」
が定まっていない製品を、第三者が売ることは難しい。
むしろ初期は、自ら一次情報を取りに行くべきだ。
顧客を観察し、現場を観察し、「どこなら局地的オンリーワンになれるのか」「オンリーワンの優位性をさらに高める切り口」を現場から探していくのだ。

科学者主体のチームほど、オンリーワン以外にも発散しがち
私の経験上、科学者主体の組織ほど、この“ターゲット選別”が苦手なケースが多いように思う。
どうしても、
・技術的に面白い
・共同研究になりそう
・大企業だから嬉しい
・有名企業だから実績になる
などに引っ張られやすい。
「私たちでなければ解決できない」というもの以外にも時間を使い、価格交渉・条件交渉に身も心も消耗してしまう。

また、科学者の性なのか、どうしてもHow(どう実現するか)から議論が始まりやすい。同じ理系人間として、愛着のある技術寄りの議論になびいてしまう気持ちはとても分かる。
しかし、勝てるディールかどうかを見極める上で、本当に重要なのは技術そのものではない。
重要なのは、
・その課題は本当に痛いのか
・代替策はあるのか
・顧客は既に何を犠牲にしているのか
・その解決によって事業全体がどう変わるのか
という、事業構造側の理解である。
つまり、技術はあくまで手段であり、主役は「顧客の事業」なのだ。
最後に
ここまで述べてきた「局地的オンリーワン戦略」は、新規事業初期には非常に有効だと思う。
ただし、事業をさらにスケールさせ、市場シェアを大きく取りにいくなら、どこかで別の戦略も必要になる。
より広範な顧客に展開していく以上、一定のコモディティ化は避けられないからだ。
しかし、すべての事業が大規模化を目指す必要もない。
特に自己資金型のスモールビジネスならば、無理に総力戦へ持ち込むよりも、“局地的オンリーワン状態”を維持した方が、むしろ高収益かつ幸福なケースも多いと思う。
弱者は、強者と同じ土俵で戦ってはいけない。
だからこそ私は、新規事業においては、
「どこで戦うか」
「どこならオンリーワンになれるか」
を、何より重視している。


